だから周りからみたら、できるのにやらない、単に怠けているだけだ、甘えているだけだ、とレッテルを貼られてしまう。そういう性質をもつ人たちがこの世の中には存在するということを知った。

そして実は、そういう人こそ、類まれな才能の持ち主で、身の回りのことは一切できないのに、ピアノを弾かせたらおかしいくらい上手に弾いたり、びっくりするほど絵を描くのがうまかったりする。

世の中に出ている多くの有名人、著名人の方々にもそういう特性が見え隠れする。つまりは、その人の特技を見つけ出し、そのスキルを研磨できるように周りが早い段階からサポートしてあげることで、世の中で光り輝く逸材になる可能性を大いに秘めていると言えるんじゃないかなと思う。

わたしは特にそういう専門分野を学ぶつもりはなかったけれど、気づけば、あの頃からもう二十年近くずっと発達障害の方々をサポートするということに携わってきた。

あの頃から、その生徒さん一人ひとりに合わせて、世界に一つだけのオリジナル資料を毎回作成していた。その一部はスキャンしてデータ化されて残っている。

二十年前のその当時作成していたプリント類、自分ではそれを見ると、いやいや、もうちょっとうまく説明できるだろう、とかもっとこういう問題を作ってあげられるのに、とか恥ずかしくなるが、英文法の解説など、時間がなく、短期間に集中してたくさんの問題に触れてほしい時などにそれを引っ張り出してきて、渡したりする。

そうすると、「うわぁ。わかりやすすぎます。これ二十年前に作ってたんですか。天才ですね」などと言われることがちょくちょくある。そうすると、「でしょー。天才でしょう?」って調子に乗って返してしまう、ふふふ。

話を学習塾のほうに戻そう。就職が決まって、学習塾でのお仕事の最後の日、先生方全員からの色紙をいただいた。

その中で面白かったのは数十名いた講師の先生方ほぼ全員が「初めて入った日、真っ先に気さくに話しかけてくださったのがハル先生でした」と書いてくださっていた。誰にでも真っ先に話しかける。

これはずっと変わっていない。今でも電車の中でも街中でも見知らぬ人に話しかけてしまう。

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