【前回の記事を読む】ADHDの方の悩み相談:勉強も運動もきちんとできるし、コミュニケーションも問題なく図れるから周りからは単に怠けているだけだとみられてしまう

3. 「わたし」の成り立ち

ここでは、わたしの幼少期から大人になるまでのエピソードを通して、わたしがいったいどのように生きてきたのか、一緒に見ていっていただければと思う。

幼稚園から始まり、小学校、中学校、高校、そして社会人になってからのあらゆるエピソードから、「わたし」があふれ出しているのを感じ取っていただけるに違いない。

生きづらさを常に感じながら、不器用ながらも懸命にここまで生き抜いてきたし、これからもより、強く、たくましく、生き抜いていきたい!

その思いをみなさんに正直に、ストレートにシェアさせていただくことで、みなさんにもぜひこれから、ここから生き抜いていこう! と思っていただければと、強く願っている。

3-1:鉄棒 足抜き回り


物心ついた時から負けず嫌いで、死ぬほど努力、努力、努力。不器用だけど、ものすごく聡明なわけでもないけれど、それでも努力を人一倍、いや、二倍、三倍したら、どんなに苦しくても、あきらめなければ、結果は必ず後からついてくる、と信じて疑わなかった。

あれは幼稚園の年長、五歳の時。体育のクラスがあって、鉄棒で足抜き回りというのをやらなければならなかった。みんなはいともたやすく、スイスイとそれをやっていた。できなかった子も徐々にできるようになっていった。

気づけば、自分だけがぽつんと取り残されていた。

幼稚園からの帰り道、神社の隣の公園で、鉄棒の猛特訓がはじまった。でも、両親に手伝ってもらった記憶は一切ない。教えてもらった記憶もない。

とにかく手に血まめがいっぱいできて、それがさらにやぶけて手が血だらけになっても、来る日も来る日も一人で続けた。

ある日の夕方、もう日が完全に沈みそうだったその時、あ!! 体がふっと浮く感覚を覚えて、そう! ようやくできたのだった。できた、できた! あの時の感覚は今でも忘れられない。

それからも鉄棒は決して得意にはなれなかったけれど、逆上がりも、空中逆上がりも、一生懸命努力したら必ずできると信じて死ぬ気で練習して、そしてすべて実現できた。

これがまさにわたしの原点だったと思う。それからというもの、できないことでも努力を重ねれば必ず夢は実現できるのだと信じて今日に至る。