どんだけ青天の霹靂やねん
2018年9月10日月曜日
「~空ビール瓶のクレート~」
このホテルは、僕が幼い頃から家族とよく東京で利用していた場所だった。
従業員のモンキーコートを着てロビーを横切ったりすると、不思議な気持ちがした。
かつて何の責任も負わず、ぶらぶらしてサービスを受けていた馴染みの場所で、今はその舞台裏を駆けずり回り使役され、サービスを与える側となっている自分がいる。おもしろい。そして切ない。
空ビール瓶の匂いを通して、ホテル働きの日々が、その日々の記憶を通して、自分という存在の絶対的な小ささ、その実感が思い出される。
人はテレビやコンピューターのスクリーンの中では自分が神になったような錯覚を覚える……とか言ったセリフが、何かの映画であった。一番いけないのは、自分が神のように見下ろせる世界しか知ろうとしないこと、感じようとしないことなんだな。
世界には、いろんな顔がある。
同じ場所にいても、同じものを見ていても、聞いていても、匂っていても……。
自分という存在は、目の前のほんの一部しか見ていなくて、理解していなくて、そして、自身も世界のほんの一部でしかないんだな。
空ビール瓶の匂いと、肌寒い夕闇と、ちょっぴり寂しげな宴会場の裏口が、そんなことを思い出させてくれた。
願わくば、空の薬瓶の匂いと、患者さんが眠りについた静寂に包まれた病院の廊下に、改めて、労働の喜びと自分の小ささを味わえる日々が、早く訪れんことを。
〔2009年学生時代のブログより〕