若い人には、是非そのような誤った考えをもたないように、主体的にリベラルアーツを学んでほしい。物事の本質を理解するためには、専門知識軸をもつことは重要です。

語学特に英語の習得は、あらゆる分野で重要になります。科学の世界では、英語が共通言語になっており、発表や論文などもすべて英語です。グローバル社会の現代では、どのような分野へ行ったとしても、英語力は大きなアドバンテージとなります。

儒教の中庸の中に学問とは何かを述べている箇所があります。中庸にいう学問とは学・問・思・弁・行の五つを皆学問としています。

この五つを具体的に述べると、事をうまくやることを求める点から、これを学といい、疑惑を解くことを求める点から、これを問といい、理に通ずることを求める点から、これを思といい、考察を精密にすることを求める点から、これを弁といい、実際に履行することを求める点から、これを行という、となっています(佐伯啓思著「学問の力」[ちくま文庫、2014年]より引用)。

ひらたく言いますと、口先だけで講釈するだけでは学問と言わず、行いまでを含めた五つが一緒になって初めて学問と呼べるということです。

自分で問題意識を持ち学び、思うことから疑問が生じ、疑問が生じれば問いが生じ、知識を確かなものとするために弁が生じる。そして実際にやってみることが、行うことになります。

中国の思想家・哲学者の孔子は晩年に次の言葉を残しています。

『子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)う、七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず(私は15歳で学問を志し、30歳で学問の基礎ができて自立でき、40歳になり迷うことがなくなった。

50歳には天から与えられた使命を知り、60歳で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、70歳で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)』『故事ことわざ辞典』

若い人たちにとって、この言葉はキャリアデザインを構築する際の道標(みちしるべ)になるので、これを参考に自分の年齢に合わせたキャリアアップを意識してほしい。

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