私たちは、自由に批判することの大切さも知った。まず、現代社会を批判しなければ、社会が変わるはずはないと思っていた。問題点を見つけずに、解決策も見つかるはずはないのである。
若者には、社会を自由に、批判的に見ることができるという特権がある。私たちの時代の感性は、フランス五月革命の落書きに見事に語られていた。
「舗道の敷石をはがすと、そこは砂浜である」
「禁止することを禁止する」
ここで、本来のテーマに立ち戻ってみたい。なぜ今になって1975年当時の東北大学処分粉砕闘争について書く気になったのか。もうあのときからすでに50年近く過ぎてしまった。しかし、これは当時の東北大学処分粉砕運動を冷静に振り返るには、ちょうどよい時間であるように思われる。
現在は、少なくとも日本では、学生運動もすっかり下火になり、若者もすっかり保守的になり、現状維持を望むようになっている。
全世代の中で、自民党支持がもっとも多いのは、20代の若者であるとも言われている。これについては、いろいろな分析が行われているが、なかなか納得できる説明は見つからない。
私は、若者は、いつの時代にも反抗的であり、既存の社会システムに不満を持っているのではないか、と思うのである。ただ、表現の仕方が違うだけなのではないか、と思ったりする。
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