「電気がついたから帰ろ」と、外で遊んでいた子供たちはそれをしおに、暖かい光に吸い寄せられるようにそれぞれ家に帰っていった。昭和の初め、私がまだ幼かったころの夕暮れ時の風景である。

そのころ、電灯は電気会社が点灯、消灯を管理し、各家庭の自由にはならなかった。昼間真っ黒な雲が垂れこめて、家の中が夜のように暗くなっても電灯はつかなかった。そうした、時ならぬ昼間の暗さは、子供心を不安にさせた。

あれはいつのころだったろうか。友達と遊び惚(ほう)け、もう少し、もう少しと思っているうちに時間が過ぎて、辺りが暗くなってしまい、慌ててとんで帰ったことがあった。

表の戸を開けようとしたが鍵(かぎ)がかかって動かない。「おかあちゃん、あけて!」と大声を出しバンバンと戸を叩(たた)いたけれど、中からは返事がない。

何度も叩(たた)いても返事がない。「締め出された──」と気がついた途端、急に心細くなって「あけて!」と半泣きになりながら、やたら戸を叩(たた)き続けた。

暫(しばら)く経ってから出てきた父に、「電気がついても帰って来(こ)ん奴には晩飯は食わさん」と怖い目で睨(にら)まれて「かんにん……」と神妙に謝り、やっと家の中へ入れてもらった。

丸い卓袱台(ちゃぶだい)を囲んで父や母、姉や弟の夕飯はもう終わりかけている。「どこへ行ってたんや。早よ帰って来(こ)なあかんで」と口々に言われ、私は小さくなって、ひとり後れてご飯を食べたのだった。

暑い夏になるとクーラーはおろか、扇風機さえ各家庭に普及していなかったそのころ、一家揃って、二畳あまりの狭い茶の間での夕飯時(ゆうはんどき)は、家の中の建具をみんな取り払ってあってもなお暑苦しかった。

「ごちそうさま」と箸(はし)を置くやいなや、私はいつも真っ先に二階へかけ上がった。そして裏の物干し台へ出ると、隅に丸めて置いてあるござを広げて夕涼みの場所を作った。

物干し台には涼しい風が流れ、家の中の暑苦しさから解放されて、ホッと一息つくことができた。

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