第3章 私のことと助産師になるまで

看護短大での生活

私の母は韓国人なので、彼女のやることは韓国の習慣風習です。ですから私は、ハッキリ言って日本の習慣風習を知りませんでした。看護短大が全寮制であることが私にとってよかったと思います。

なぜならこの寮で、少し日本の習慣などを学べたと思うからです。この寮では、上級生が二人、一年生が四人の六人が狭い同じ部屋で生活しました。

冬は朝五時三十分ぐらいに当番が起きて暖房となる練炭起こしをします。時にはまだ星が出ている時間でした。そこから病棟のベッド整頓、患者さんの看護と、結構厳しいものでした。でも、楽しい生活でした。

一番印象が強かったのはドイツ人の婦長です。たまたま私が、患者さんの所に水の入ったコップを素手で運ぼうとしたら、

「ちょっと待って、あなたはお盆を使わずにコップのお水を持って行くのですか? それって失礼でないですか?」と詰問されました。

私はびっくりしてここの看護学校は躾も教えてくれるのだなあ、ありがたいなと思いました。特にドイツ人の婦長は厳しかったことを覚えています。

寮生活では毎朝のお祈りと夕のお祈りが日課でした。この宗教色の強い病院実習は、その後の私に大変有意義でした。

助産師学校と病院勤務

三年間の看護学校が終わり、一年間の助産師コースに進むことになりました。

本来はもっとほかに一般教養の学問をしたかったのですが、親に聞くと、やはり弟が二人も大学に行かなくてはいけないからお金がないとはっきり言われました。