ただ、「一年だったら行ってもよい」と言ってくれたので、助産師学校に一年行くことに決めたのです。
しかし、本当はあんまり産科が好きではありませんでした。それでも受験をしたのですが、実は受験勉強を全然していませんでした。なんとか合格しましたが、その日イタリア人の総長に呼ばれました。
「あなたはこの度の試験の勉強をしましたか?」
私は「いや、しませんでした」と答えました。すると彼女は厳しい口調で私に「今回は入学させます。しかし、勉強しなかったら退学させます」と言いました。
私はびっくりしました。私が中途半端な気持ちで受験したことが、見え見えだったのです。私は「わかりました」と真剣に答えました。
ところが、助産や産科学を勉強していくうちに学びがだんだん深くなり、本当に楽しくなってきて、勉強をするようになりました。お陰で成績はまあまあでしたが退学にならずに卒業できました。やっぱりハッキリと言ってくれるのは日本人と違いますね。とっても嬉しいことです。
私は助産婦として聖母病院に昭和四十一年就職しました。聖母病院のお産は月に三百例もあるくらいたくさんあります。大変有名な病院で、卒業して二年間分娩室で勤務しました。大変勉強になりました。夜勤で十人もお産があった時には、フレッシュマンと一緒に頑張りました。
当時、聖母病院は外国人医師のオープンシステム(自分の病院の妊婦さんに陣痛が来ると、聖母病院へ連れてきて分娩をしに連れてくること)を導入していました。
ある時、分娩室が二つともいっぱいでしたが、アメリカ人のドクターMが陣痛開始したと、自分のクリニックから一人の妊婦さんを連れてきたことがありました。