さらに「七、八年前(ぜん)に二十八で大学を出たというから、今年は即ち三十五か六の中古(ちゅうぶる)の法学士」とも言われています。(一章)
『其面影』の時代設定は、この小説が新聞に連載された明治三九年と考えられますから、大学を卒業したのは明治三一年か三二年頃でしょう。坪内逍遙の項で説明したように、明治一九年に帝国大学が成立して日本で唯一の最高学府となっていました。
哲也は法学士ですから、帝国大学法科大学を出たということです。今なら東大法学部卒ということで、現在でも東大法学部卒はエリートの代名詞ですが、明治の帝大の学生数ははるかに少なかった上に、明治三〇年に第二の帝国大学が京都にできるまで東京の帝大は唯一の大学だったのですから、その卒業生のエリートぶりは今よりはるかに突出していたと言えます。
では哲也が勤務している「神田の某私立大学」とはどこでしょうか。現在の東京で神田付近にある大学としてすぐ思い浮かぶのは、明治大学と日本大学と専修大学でしょう。しかしこの時代の「私立大学」は正式には大学ではなかったのです。
明治大学は明治一四年(一八八一年)に明治法律学校として設立されました。当初は現在で言う有楽町に校舎がありましたが、明治一九年末に神田の駿河台に移転しています。そして明治三六年(一九〇三年)に明治大学と改称するのです。ただしこの時点では法律上は専門学校であり、正式の大学に昇格するのは大正九年(一九二〇年)になってからです。
日本大学は明治二二年(一八八九年)に日本法律学校として設立されました。当初は現在で言う飯田橋に校舎がありましたが、明治二九年に神田三崎町に移転します。そして明治三六年に日本大学と改称しますが、やはり法律上は専門学校で、正式の大学昇格は明大と同じく大正九年のことです。
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