第二章 日常を生きぬく事 くじけそうな時は
映画『ダウンタウンヒーローズ』早坂暁 山田洋次監督 松竹 一九八八年
青春は煌めく日々
深く感動した。盛り込まれている多くのテーマがあり、青春の初々しさ、頼りなさ、まじめさ、正義感、傷つきやすさ、それらが溢れんばかりに感じさせられる。自分が忘れかけていた一番大事な感覚である。
メインのストーリーは恋愛小説。旧制松山高校の生徒「洪介」(中村橋之助)と、本映画のマドンナである高等女学校生「房子」(薬師丸ひろ子)が寮対抗の演劇祭で知り合いお互いに心奪われる。
しかし、洪介に恋敵「オンケル」(柳葉敏郎)が現れ、その恋敵より房子へ自分のラブレターを房子に持って行ってくれと頼まれる。洪介はラブレターを持っていくが、房子は受け取らない。房子は洪介が好きであったのに、オンケルの手紙を持ってきたことに落胆したからだ。
オンケルは高校をやめ、芝居小屋をやる。その後洪介は房子に告白するが結局は一緒にはならなかったとの独白がはいる。このあたりは『さびしんぼう』(大林宣彦監督、東宝、一九八五年、尾道三部作の一つ)の最初とよく似ている。
好きであるのに一緒になれないということが、見るものの多くの現実の生活に共鳴するのかもしれない。(実は私もその当時、同じ境遇であり胸締め付けられる思いで最後まで見たことを思い出す)
映画評を離れて私のことであるが、何年か前に、中学校の同窓会があった。その時の感覚もこれと似かよった雰囲気があった。どちらにも共通する点はそこに青春があったこと、そして今は、そんな時代から非常に遠くへ離れて来てしまったこと。そしてそれは二度と取り戻すことが出来ないことだということ。
付加的ではあるが、本映画には他にもいろいろとテーマがあった。ドイツ文学の教師まさかね(米倉斉加年)が旧制高校で最後の授業をやり、その中で、君達の得た自由はフリーダムではなくリバティである、という場面。「自由」は努力して手に入れるものという意味だ。
涙を流しながら教授に拍手を送る生徒達の姿。こんな感動を呼ぶ教授、講義にはなかなか出会えない。
全編に山田洋次らしさが出ている映画であった。早坂暁の自伝的小説がもととなっているが、旧制高校の描写やシナリオは北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』(新潮文庫、二〇〇〇年)と非常に似通っている。むさ苦しい、非常識、熱血の中に純粋がある、それが青春だと思った。
過ぎ去った青春をいくら思っても、帰ってくるものではない。しかし誰しもそんな楽しく、苦しく、切ない一時期を過ごしたはずだと思う。人生はなかなか思い通りに行かないものでもある。
自分一人の思いだけでもそうなのだから、周りにいる友人や異性などとのふれあいがあればなおさらその記憶は印象深く残っているのだ。そして年を経るごとに、その頃のことは大切な思い出として蘇ってくるのである。