『花石物語』井上ひさし 文春文庫 一九八三年
人は人の中で成長してゆく
この小説は井上ひさしの若かりし頃の自伝と言われている。他にも自伝的なものはある。『モッキンポット師の後始末』(講談社文庫、一九七四年)もそうだ。どちらもユーモアとぺーソスがふんだんにちりばめられており、読んでいて面白いが結構悲しい場面も多い、笑いと涙の青春小説である。
小説の舞台「花石」は釜石がモデルである。遠野から汽車で約半日、大きな製鉄所のある漁港といえば釜石なのだ。花石以外は実際にある地名を使っている。
学生である主人公の母はここに住み、屋台を曳いて生計を立てていた。主人公は夏休みを利用して長い時間汽車に乗り母親の所を訪れる。実は彼はある病気にかかっていた。
彼は四谷の坂の上にある鷲のマークの大学に通っているのだが、東京大学の銀杏のマークや早稲田大学のペンのマークの記章を見ると劣等感を感じ、吃音になってしまうのである。それは自分に自信が無いということの現れであるのだが。
この物語はひと夏に主人公が出会った人達のことや、色々な事件のことを書いている。また、アルバイトをした船会社や行商などで失敗ばかりしたことも。この時代の雰囲気は私達の青春時代(一九七〇年代後半)のそれとは少々異なる。
当然現在の雰囲気とも違うのであるが、その中で生きている主人公の真面目さ、また、情に流されやすいことなどは、時代背景の違いとは関係なく愛しさが募ってくる。
【前回の記事を読む】六〇年代を懸命に生きた五人兄弟。テレビドラマから映画化された『若者たち』