徐々に記憶を取り戻しながら、尋一は目の前にいる立派な武将に尋ねた。
「お前は、川中島で野垂れ死ぬところだったのだ。我々が見つけなければ、翌日には屍(しかばね)となっていたであろう。運の強い者だ」
尋一は大河を前にして、もはや進むことができないと諦め、冬の寒さの中で死を覚悟したことを思い出した。
「私の名前は、樋口尋一と申します。許嫁の杏がさらわれ、奪い返そうと思い、南の方から独り飛び出して来ました」
斎藤の身体から滲(にじ)み出て来る存在感と安らかな優しい眼差しから、尋一は自然に、自分の素性(すじょう)を明かした。
「そうか。大変なことになったな。まずは、身体を休めて、時間を掛けて探すが良いぞ。運命の糸が繋がっていれば、その許嫁とは、必ずまた出会うことになるであろう」
斎藤の小さな身体が、山のように大きく見えた。─一度捨てたこの命、この武将に捧げよう。杏とは、必ず再会できるはずだ。思い直した尋一は、斎藤と行動を共にすることにした。
葛藤
一五六〇年五月、戦国の世を大激震する出来事が起こる。室町幕府足利将軍家の親族である駿河の名門、今川家当主の今川義元(よしもと)が桶狭間 (おけはざま)で織田信長に討たれたのである。
今川義元は、駿河・遠江(とおとうみ)(浜松付近)・三河(みかわ)(愛知東部)を治める大大名であった。また、優れた領国経営と軍事、外交力が評判で、〝海道一の弓取り〟と呼ばれる程の実力を持っていた。
実際、相模の北条、甲斐の武田とは、三国同盟を組み、相互不可侵協定などを結んでいた。今川・北条・武田の結び付きは強く、特に越後の上杉謙信は、北条・武田の二大名を相手に孤軍奮闘していたのである。
上杉謙信は、今川家当主が討ち取られたことを好機と捉え、関東に進出している北条を討つために出陣した。謙信の右腕である武将、斎藤朝信にも出陣命令が下された。尋一は斎藤に従い、関東攻略の上杉軍に参加した。
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