彷徨う
この乱世に、杏もまた下克上の夢を抱いていたのかもしれない。上から指示を受け、ひたすら仕事をこなすという忍者集団の世界は、杏にとって以前から堅苦しい世界だった。また、頭目が決めた許嫁として、尋一の所に嫁ぐことは、向こうっ気の強い彼女には受け入れ難いところがあったのだ。
杏は、人に好かれるという性格を持つ一方、頑固で独立志向の気質を持っていた。意外なことに権謀家でもあった。
鳶加藤の〝気宇壮大(きうそうだい)〟な大局的な考え方に以前から共感していたのかもしれない。忍者たちは、専門的な狭い考えで行動する傾向があり、全く別のタイプの鳶加藤の夢物語に杏は同調したのであった。
二人は、小田原の港、船方村 (ふなかたむら)で船に乗った。
船は、北国船 (ほっこくぶね)と呼ばれる千石積 (せんごくづみ)の大型船で、東北地方の材木を積んでいた。その荷をここ小田原で降ろし、数日程、停船していた。
今、帰りの荷物である小田原名産の鋳物(いもの)を積んでいる。この鋳物は、仏具や鉄砲、陣笠、鍋、釜などに使われ、高い需要がある。船は、平底で船首が丸くどんぐりに似た形をしている。そして、重木(おもき)造りの堅牢な構造であった。
船の帰りの行先は、小田原とは真反対の日本海の秋田である。
その航路は、小田原から銚子と那珂湊(なかみなと)に寄り、その先の陸奥(むつ)(東北東側)を通り、津軽海峡を越え、日本海に抜けるものであった。
北国船は、瀬戸内海の船とは違い、帆走性が悪く、人力航行を併用するため二十人もの乗組員がいた。その乗務員たちと、鳶加藤は談笑しながら、船の上で寛いでいた。
すぐに見知らぬ人とも打ち解ける鳶加藤の姿を見て、杏は心ならずも頼もしさを感じるのであった。