越後の馗鍾(しょうき)
尋一は、風間村から古府中(こふちゅう)(甲府)まで約七十キロと古府中から川中島まで百五十キロ、計二百二十キロも這いつくばりながら、杏を探したのであった。風間村を衝動的に飛び出してから何日が経っていただろう。この川中島は、長野盆地を流れる千曲川(ちくまがわ)と犀川(さいかわ)が合流する地点にできた三角州である。
尋一にこの大きな川を渡る力はもう残されていなかった。この大河を前にして、尋一は前に進む意欲を失くし、この地で倒れたのであった。
だが、尋一の命の灯(ともしび)は消えていなかった。命の灯が消える寸前に、越後の鍾馗(しょうき)と呼ばれた猛将斎藤朝信に救われたのだ。
斎藤は、右目に黒い眼帯をしていた。以前の戦いでケガをして、右目を失明していたのである。左だけの目で、その鋭い眼光を尋一に向けた。
「この少年の生命力は底知れぬ物がある。薬をこの民家に届けろ。お前は、少年が意識を取り戻すまで、看病するのだ」
兜を脱いだ斎藤は、髪を上の方に結んでいた。猛将らしい立派な口髭 (くちひげ)と耳までの顎鬚 (あごひげ)をたくわえている。そんな姿から、越後の鍾馗と呼ばれているのであろう。
しかし、斎藤は、身体は小さく、左足も不自由だった。鍾馗とは、魔除けや学業成就に力を持つ、中国道教の神様である。長い髭をたくわえ、剣を持ち、ギョロッとした目で相手を睨みつける姿に似ている斎藤は、越後の鍾馗といわれる。また、斎藤の文武両道で忠義心に篤く、民を愛する姿も、優しい心を持つ鍾馗と重なったのであろう。
平安時代に鍾馗という神は日本に伝わり、人々から尊敬、畏怖されていた。数日後、尋一は息を吹き返した。斎藤が尋一のために残した部下が、斎藤に少年が目覚めたことを伝えた。斎藤は急ぎ、居城の赤田城(あかたじょう)(柏崎近く)から駆け付けた。
「少年よ。起き上がれるか?」
民や兵卒を普段から慈しんでいる斎藤は、その仁愛の心で尋一に話しかけた。
「わ、私は一体どうして、ここにいるのでしょうか? 貴方様が私を助けて下さったのですか?」