(2)死に方より生き様

人それぞれに特別な人生があり、特別な思いの生き様があっても、特別な死はない。死は、どのように生きた人にも平等に訪れる。死に至る原因には、老衰(自然死)、病気、事故、戦争、自殺、他殺などいろいろあり、その際の情景も、多くの人に惜しまれるものもあれば、人知れず静かなものもある。

しかし、死んでいくご本人はどの場合もひとりきりであり、にぎやかでもおごそかでもなく、人生を閉じるというごくごく個人的な事実のみを受け入れるに過ぎない。ご本人にとっては、おもしろくも何ともないのである。

生まれるときも、死ぬときもひとり。その通りであるからこそ、生と死の間をどのように生きるかが大事であり、生き様こそがその人の最大の個性となる。しかし、普通私たちは、どのように生きるかなんてことを考えて日々を過ごしてはいない。

その日その日にやることになっている楽しいことやイヤなことに、妙に生真面目に取り組んで、その結果に一喜一憂しているのではないだろうか。

そのような日々が続いてすぐに一週間、もう一か月、あっという間に一年、というように年月が積み重なっていく。

そして、あるときふと空を見上げるのである――。

「死に方より生き様」とはいうものの、良い生き様とはどんなモンであろうか。生き方の両極端を考えてみよう。やるべきこと優先とやりたいこと優先、真面目にきちんと生きていこうという姿勢と何事も楽しもうという姿勢、人の役に立ってこそ人生という考え方と自分のための人生という考え方、などなど無限の類型化があり得る。

そのうち、こちらの方が絶対に正しいと言いきれる生き様はないし、ひとりの人間でも両極端の姿勢や考え方をその場その場で使い分けているのが実情であろう。結果として、生き様とは人の数ほどあって、そのどれもが良いも悪いも越えた現実である。

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