第四章 振り子の行方

「確かに二年ぽっちですね……」

春彦にはそれ以外に、亜希子にかける言葉が思い浮かばなかった。

就職して三年目のあの時、消化器内科で再会した亜希子は、小柄なのにパワフルで、よく動く表情とその瞳は高校時代のままだった。あれが悟を亡くして僅か一年の姿だというのだろうか。時を違わずに父をも亡くし、そんな自分のことよりも妹郁子の身を案じながら亜希子は生きてきたのだ。

状況を考えるに、父のことではどうしても郁子に、周りの気遣いはいくだろう。けれども、実際には亜希子こそが、助けが必要な状態だったのではないだろうか。春彦にはそう思えてならなかった。

再会のあの時に諦めずに亜希子に猛アタックしていたら、もしかしたら亜希子を救えていたのではないだろうか。そう思うと、春彦は堪らない気持ちになった。

この時、身の置きどころのないような不安を、亜希子は感じていた。悟のことはそれがどんな相手でも、露ほどにも話はしなかった。それを何故、春彦に話してしまったのだろうか。必死に守ってきたものを、こんなにも容易く崩してしまう春彦という男は、亜希子にとって少し厄介な存在といえた。

人は本来、幸せを希求するもののはずだ。だと言うのに亜希子は、頑なにそれに背を向けて生きてきた。悟を亡くした痛みを感じなくなってしまったら、自分は何もできなくなってしまうのではないかと思ってきたからだった。その強迫観念にも似た思いが、どんなに魅力的な相手であっても亜希子に幸せを望む心の目を開かせることはなかった。

看護師を続けてこられたのも、今こうして生きていられるのも、きっと悟への思いを手放さずにいるからだろう。そんな亜希子にとって他人の同情を容易く受け入れることは、自分という存在を崩壊させてしまうほどの危険を孕んでいた。

悟の春彦への信頼は厚かった。レギュラーではない春彦をキャプテンに推すわけにもいかず、そうこうしている内に部活を辞めてしまった春彦を誰よりも惜しんだのは悟だった。自分はレギュラーではないからと細々としたことまでこなしてみせる春彦は、部に欠かせないムードメーカーだったのだ。