第五章 思い出
きっとこの穴は一生埋まらないだろう。
この悲しみと、この重みと、この残酷に揺れ動く運命にも逆らうことなんてできない。けれども悟は今でも、亜希子を守ってくれていた。
悟の事故について散々騒ぎ立て、亜希子の元にまで押し掛けたマスコミやはやし立てるように騒いだ世間は、あっという間に悟のことを忘れた。その状況で、自ら死を選び、亜希子の心に住んでいる悟までをも葬ることができるはずもなかった。
それは話題になるのなら人心などお構いなしの身勝手なマスコミや、散々それを好んではやし立てた挙句に、あっさりと忘れ去った世間と、大して変わらない行為のように思えた。
亜希子はただ生きること、そのことを選ばざるを得なかった。あの日、偶然にも見てしまった映像によって、亜希子は際限のない苦しみと共に生きてきた。恋も、結婚も、家庭も、友人もどこか遠く、仕事への情熱すら、もはや枯れ果てていた。運命は亜希子から何もかもを奪ったのだった。
「悟くん、私、まだ生きているよ。でも、もう止めたい」亜希子は一人呟いた。
一体、何を止めたいというのだろうか。亜希子は、漠然とそのことを考えながら歩き続けていた。看護師を続ける必要だってもうありはしない。このまま家に帰る必要もない。けれども、その程度で、この運命から逃れることができるだろうか。きっとそれは無理だろう。亜希子には、そう思えてならなかった。
春彦宅を後にした亜希子は、当てもなくとぼとぼと歩き続けるしかなかった。