その住宅街を抜けると、そこにはちょっとした繁華街があった。賑やかな人出を避けて高架になっている線路をくぐると、街の様相はネオンまみれの歓楽街へと移り変わっていく。その先に視界を開くように走る幹線道路には、ホストや女性の高額バイトを謳うトレーラーが、騒音をまき散らしながら悠然と通り過ぎていく。
アメリカ研修で、亜希子はバッグレディの話を聞いたことがあった。要は女性のホームレスのことだ。女性が身一つ、バッグ一つで失踪しホームレスになるのは、さぞかし心許ないことだろうと亜希子は思っていた。けれども、人が人の道を踏み外しこんなにも容易く落伍するのならば、その世界もさほど遠くはないだろう。
亜希子はずっと、今を生きられずにきた。この歓楽街でのその日暮らしでさえ、余程、自分を生きていることのように思えた。
自分を誤魔化しながら生きてきたのがこの十数年なら、この孤独に抗うようにして生きてきたのはもっと長い間のことだった。
それを痛い苦しいと言ってみたところで、他人から期待する反応が返ってくることの方が稀だ。亡くなった恋人の思い出などを持ち出そうものなら、少々の同情と共に美談の一つとして片付けられてしまう。ともすればそれをしまってある小箱こそが、なんと美しいものよと奇妙な賛辞をもらう始末だ。そんな歯の浮くようなやり取りに、他人はよく耐えられるものだ。
時折、亜希子の脳裏には、紙屑のように崩れ落ちた郁子の姿が浮かび上がった。けれども、もはや歓楽街を漂う回遊魚の群れに呑まれてしまった亜希子の心に、その痛みや苦しみが長く留まることはなかった。
その光景を目にした亜希子の記憶に刻まれたのは、自分にもドロドロとした感情があるという事実だった。その感情はきっと母佐知子が郁子を身ごもり、父邦夫がそれを穏やかに受け入れた時から存在していたのだろう。