第4章 合目的的なる世界
第1項 合目的
1 偉大なチェス盤
第3章では、人工知能が我々個々に及ぼすであろう影響について述べた。人工知能に対する考察の締めくくりに、本章では、その様な我々が構成する世界はどの様なものになるのかについて考えてみたい。
人工知能の飛躍的進化と網羅的普及によって、雑然としていた世界は、“合目的的な世界”の完成へと向かうだろう。“神の見えざる手”という言葉であまりにも有名なアダム・スミス(イギリス、1723~1790)はかつて人間社会を“巨大なチェス盤”に喩(たと)えた(人工知能の将棋というものを認めるなら、その指し手はまさに“神の見えざる手”だろう。実存する「電王手一二さん」はさしずめ“神の使い”か)。
いつの世も治世者は整然とした世の統治を好む。しかし、世にあって現実には、個々の人間はバラバラに動き整然を為さず、常に統治者を苛(いら)立たせる。“巨大なチェス盤”とはあくまでも秀逸かつユニークな、スケールの大きい比喩に過ぎなかった。
しかし、偉大なるアダム・スミスから二百年余の時を経て、我々はバラバラではなく一つの向きを持つようになる。人工知能のガイダンスは一個の基準を多数の人間に当て嵌めるのだから、我々は整然として、川面(かわも) を流れる落ち葉のように一つの向きに流れていく。
ゲームというのは、同じ目的を共有する所から始まる。プレイヤーが同じ目的を共有する事によって成立する。将棋盤と駒があり、片一方の者が駒を並べ駒音高く2六の歩をついても、もう片方の者が残りの駒を盤面の半分に山と積みそれを崩して遊んでいたらゲームは成立しない。
ところで我々が人工知能への依存を強めるに従い、物事は須(すべか)らく目的を立てるところから始まる様になる。目的の無いところに人工知能の出番はないからだ。人工知能から利益を得る者(ユーザー)も、人工知能で利益を生む者(提供者)も、目的を知る、或いは、目的を立てることが求められる。