第1章 導入

第1項 意気込みから

2017年9月3日。今、私は書き出そうとしている。棋士と呼ばれる人たちの総てが、棋士になるまでの道中、そしてなってからも向き合ってきたであろう、純粋な好奇心と向上心に殉じる為の対価として味わうべき孤独に、せめてその半分でも身を置き、このテーマを書ききりたいと思う。

私の旧知の友人はかつて学者志望であり、学者になった。ふと、久しぶりに彼のことを思い出した。書くという行為がどれ程のエネルギーと正当な訓練と指導と精緻な技術を要し、どれ程に苦しいものであるかは、その当時の親密な付き合いの中で彼を通して見てきた。また、その苦しみの長い地下道を抜けて書き上げた時の充実感、魂が安堵するような悦びも、彼が修士論文や博士論文を書き上げた後に、見た。

私は書くための訓練も指導も受けたことがない。純然たるアマチュアだ。そして、これから書くテーマについて既にプロによって書かれた書評に、ある面で反論を抱き、自分の視点を表そうとしている。その無謀さを思うとき、身のすくむような恐怖と無力感を覚えるが、長年、将棋を指す姿を通して私に多くの生きるための指標を与えてくれた棋士への憧れと愛着をエネルギーに全力で挑みたい。

テーマは、「人工知能による将棋(と言われているもの)が、棋士の指す将棋と、技術、強さ、存在感において並び立つようになった事を踏まえ、我々は将棋をどの様に捉え、また、これから棋士を我々はどう認証していくべきか。」より大きく捉え、我々棋士以外の人間にも通底する問題に引き付ければ、「思考という、人間が自らと他の動物を峻別する拠り所にもしてきた誇るべき能力において、人工知能が設定された目的の遂行を人間以上に正確に迅速にクールに(或いは無感情に)こなせるようになっていくとき、我々は、自分たちのそして他者の存在意義をどの様に見出していくべきなのか。」

本稿は将棋を題材にした「文系・人工知能論」である。と同時にその先に、棋士を通じて、旧来は当然の前提であった“人間による人間の営み”というものを様々な角度から丁寧に再考察する試みを為した。生産性・効率性に語り尽くされない人間の姿を求めて。本稿の大まかな構成は、前編(第2章から第4章)にかけて人工知能の考察を行い、後編(第6章から最終第12章)で棋士と将棋の考察を展開したい。

この文章を読んでくれる人がおり、何かを感じ、そこからまた何かが生まれ、展開していくことを願う。改めて今にして思えば私は、主に一人で、人知れず、将棋を楽しみ、将棋(を指す棋士)に教わり、将棋を味わい、将棋を通じて考えてきた。自らの思考する態度を培(つちか)う支柱にもしてきた。

知的好奇心や思考を巡らす充実感を、将棋というものは、それを指す棋士たちは存分に私たちに与えてくれてきた。これからもそうだろう。読んでくれた方が、より将棋と棋士を好きになり、将棋から得られる楽しみが増えるとしたら、書くことに携わるにあたってこれに勝る喜びはない。