第1項 繋ぎ以上で本稿の[前編]に当たる、棋士の(実は人間の)存在意義にぶれずに真っ直ぐに問題を提起した「人工知能」に対する考察は終わりとする。画像に撮ったある物の大きさを正確に伝えるためにその横に例えばタバコの箱を置くように、私は棋士の横に人工知能を置き、それを眺めた。「棋士の将棋」との比較対象としての「人工知能」とは、一言で言えば、合理性・効率性を精緻な計算に基づき貫徹・遂行する装置・存在で…
[連載]人間を見つめる希望のAI論
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【最終回】野咲 蓮
人工知能の発達の如何(いかん)で、将棋というものが変わることはない
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第43回】野咲 蓮
テクノロジーがアクセルを踏むものなら、そこにブレーキを掛けるのは人間の知性だ
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第42回】野咲 蓮
人々の心に不条理のざわめきを起こす
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第41回】野咲 蓮
盤外の議論そのものに深入りを避けたがる棋士が多い
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第40回】野咲 蓮
面前の人間の将棋における意思や主張を、自分の意思や主張で上回るという発想はない
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第39回】野咲 蓮
カウンター越しの嬢は、個々の客のイメージのきっかけとしてそこにいる
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第38回】野咲 蓮
偉大なるチェス盤は、種々のゲームをその内に包含している
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第37回】野咲 蓮
窓のないエレベーターにたまたま乗り合わせた人たち
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第36回】野咲 蓮
「日本には将棋、ヨーロッパにはチェス」というイメージ
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第35回】野咲 蓮
日本人棋士の強さを対世界の実績で相対的に高める、という考え方
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第34回】野咲 蓮
ある人はそれを隷属的労働からの解放と言うし、ある人は雇用の喪失と言う
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第33回】野咲 蓮
真の叡智の担い手は旧来の評価の枠組みには決して捉えきれない
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第32回】野咲 蓮
存在意義を “高度な計算の集積とは別個の形”で示さなければならない
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第31回】野咲 蓮
ボス猿とナンバー2の喧嘩を眺めている群れの如し
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第30回】野咲 蓮
旧態依然の序列を解体し、能力のある者に直(す)ぐに競争機会を与える
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第29回】野咲 蓮
自らの位置や評価を少しでも高めることは許されない
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第28回】野咲 蓮
スポーツに於いては“制約の守り方”を、芸術にあっては“制約の超え方”を魅せる
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第27回】野咲 蓮
“勝ち組・負け組”という、殺伐とした言葉による峻別
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第26回】野咲 蓮
我々はバラバラではなく一つの向きを持つようになる
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評論『人間を見つめる希望のAI論』【第25回】野咲 蓮
わざわざ、我々が自ら判断する必要性が何処にあろう