第4章 合目的的なる世界

第4項 合目的の寂しい世界

3 棋界に吹く風

合目的的世界の“整理的淘汰”とそれぞれの生き残りの為の“各々一方通行”。一般現実大人社会に広がる寂莫(せきばく)とした風景。将棋の世界はどうだろうか。

名人対PONANZA戦の後にあって程なく、藤井聡太六段が颯爽(さっそう)と現れ、「デビュー戦以来」という条件をおまけに付けつつ、「29連勝」という戦慄の最多連勝記録を打ち立てた。年末には、羽生善治二冠が棋界の伝説の一つの集大成として、永世七冠という偉業を達成した。危機が叫ばれる将棋界に二つも大きな記録が、しかも新人と謂わばレジェンドによって達せられたのは、決して偶然ではないだろう。

幕末から明治の入りにかけて、危機の雄藩にあっては西郷隆盛や大久保利通や吉田松陰や高杉晋作が、危機の幕府にあっては勝海舟が、危機の日本にあっては坂本龍馬や中岡慎太郎が現れた様に、プロ野球騒動にあっては古田敦也氏が気を吐き選手たちの立場を守った様に、危機の世界にあっては、その都度に時代の雄が、夜闇を明るくする綺羅星の様に、瞬く間に現れる。

何かを思い出した様に、個人が個人の力を超えて燦然(さんぜん)とした輝きを放つ。“大危機個人発光原理”とでも言うべきか。人間には、何かを引き受ける力が確かにあり、宿り、外に感じたものを内からの力に変える。世界の危機とその直後の個の躍動のタイミング的符合は人間の歴史の醍醐味だ。

私にとっては寂しい向きに、強く言えば懸念する向きに、光を放つ雄が現れた。千田翔太六段だ。

いち早く人工知能の棋力(計算力)の棋士に対する優位性を唱え、自らも人工知能の将棋(計算と解)の集積に傾倒し、高い勝率と勝数を叩く。「是非に非ず、現に強くなるための最善の方法を探り、それを躊躇なく採用することこそが棋士の務めでないか」という揺るぎなき信念を感じる。自らの立場を明らかにし、その上で迷いなく全身でそれに殉じているのだから、強い。

その千田翔太六段の強さを示す番組があった。その中でNHK杯戦で藤井聡太六段に敗れたあと、控室に戻った千田六段はすぐさまパソコンを開き、解析データを見、「ここで評価指数が落ちている。これが敗着でした」という趣旨の事を言った。それから、ソフトの候補手を見、正しさを検討、というよりかは確認をしていた。

私は、寂しかった。ボクシングが正しいフォームとバランスのとれたステップで壁を殴る競技に変貌してしまったかの様な錯覚すら覚えた。千田六段は、藤井六段の意思や主張、つまりは面前の人間の将棋における意思や主張を、自分の意思や主張で上回るという発想はない。

提示される局面局面に於いて、その都度に、どれだけ正確な計算が出来るかを考えている。相手の意図・読み・主張に関心の無い将棋に感想戦はいらない。

棋士もファンも記者も、評価指数グラフを銘々で見れば良い。千田六段は、人間相手の研究会よりは家でソフトと指している方が有意義だと言う。正(まさ)に、“各々完全一方通行”の伝承者だ。