第三章「強運な子」  ゆう

権力を手にした者の最期は、決まって悲惨な結末を迎える。

三年前に、四期目の当選を果たした田原(たばる)市長は、初当選時、こんなことを公言していた。

「長期政権は、淀んだ川と同じで、舟を漕いでも、権力という淀みにはまって前進することができない。このままでは、市民の幸福が約束されている対岸まで、辿り着くことはできません! 今こそ新しい風を! 新しい政治を!」

四期目の当選。彼はまさに「淀んだ川」で舟を漕いでいた。

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私、新垣美和子(あらかきみわこ)は、地方紙で政治部を担当している。入社当時は、カメラを持って先輩記者の後ろをついて回っているだけの借りてきた猫的な存在だった。その当時は、もちろん政治なんて興味もないし、周りの同期が持つような上昇志向などとは、無縁だった。

転機が訪れたのは、今の市長が旧政権の一新を訴え掛けていた十五年前だ。そのときの市長選担当だった同期の女性が、突然の寿退社となった。

寿退社の理由は、政治担当の女性記者という肩書に、結婚相手の男性側の両親が恐れおののいたということだそうだ。何も会社を辞めなくても他の部署に異動願いを出せばいいのにと話したが、「記者」という職業が「不規則な生活である」という印象を与えているようで、家庭に入ってほしいと男性側の両親に言われたそうだ。

「何が働き方改革よ! 何が女性の地位向上よ! どうなっているんだ! 首相よ」と彼女の送別会で、二人して叫んだ。

「旧政権という巨人に立ち向かう三十九歳の若手政治家」というシチュエーションは、当時、話題を呼んだ。そのときの記事の見出しは「ジャイアントキリングなるか!」「青二才の挑戦!」など、無謀な挑戦をする若手政治家を映し出す描写が多かった。

その方が購買部数も増え、新聞社的には、良かったからだ。若手政治家は、旧政権のスキャンダルもあり、次第に支援者の数を増やしていった。そして、難攻不落と思えた旧政権の城を攻め落としたのだ。政治部一年目の私にとって、それは衝撃的だった。

その日から、私は政治部で主に市政を担当している。今、市長は自衛隊誘致を巡って、誘致反対の市民と対峙していた。

「市民中心の市政を目指すために、市民との対話を政治の中核に据える」と公約した市長が、住民投票もなしに「国が決めたことだから」と誘致を独断で承諾したからだ。

その後の段取りも、住民に情報開示しないまま、「国家機密だから」と責任転嫁。いつの間にか駐屯地建設が着工されていた。彼にとっての市民とは、自分の意見をなんでも賛成してくれるイエスマンのことだったのだ。