第三章「強運な子」  ゆう

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アパートの部屋に戻ると、さっとシャワーを浴びてベッドに向かった。三十代に入ってからは、疲れがなかなか抜けない。肩こりに眼精疲労。まとまった休みが取れないため、部屋にマッサージチェアまで導入したが、洗濯物置き場と化していた。私は横になると、泥のように眠った。今日は一日、休みをもらえたので、とことん眠るつもりだ。

しかし、五時間ぐらいで、着信音に起こされた。携帯電話の画面を見ると、母の顔写真。

「何、どうしたの? 私、今日、久々の休みなんだから、静かに寝かせてよ」苛立ちを露わに電話に出た。

「あなた、忘れたの? 今日は、お父さんの命日よ。早く家においで」それだけ言って、

母は電話を切った。そうだ、今日は父の命日だった。私は、急いでワンピースに着替えて実家に向かった。実家には、母と兄・浩二の家族が同居している。

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父は、物静かな人だった。休みの日は、家で読書をするか庭の草取りをしている姿しか記憶にない。そんな父が、仕事では重責を担う役職にいたことを知ったのは、十五年前の市長選挙だった。

父は、旧政権時、市役所の秘書公聴課を任されていた。秘書公聴課の仕事は、簡単に言えば、市民の苦情窓口だ。

その当時は、空港の滑走路が国の新しく定めた基準に達しておらず、滑走路の長さを確保するためには、別の場所に空港を移転するしかなかった。その移転先を巡って、市民の矢面に立っていたのは、父だった。父は、この尾山市の生まれで、この市の歴史や文化をこの上なく愛していた。

編集長は、もう十五年も昔の父の演説を、今でも鮮明に覚えているという。