6 祭りの日の思い出

お祭り、といえば、子供の頃の氏神様の夏祭りを懐かしく思い出す。お祭りが近づくと毎年母は、たんすから私の絽(ろ)の着物を出してきて、寸法直しをする。

日中の暑さが漸く衰えかけた夕方、行水から上がって、ひたいの生え際や首の回りなどに、たっぷりと天花粉(てんかふん)をはたいて、体のさっぱりした私に、

「袖に手を通して……」

と母は、出しておいた着物を着せかけ、言われるままにかかしの様に両手を横に上げて、じっと立っている私の、背丈、ゆき丈の伸びた分の寸法を計った。

祭りの前日になると、母は押し入れから、紙に包んでしまってあった絵日傘を取り出してくれる。黒く塗った竹の骨に、水色の薄く透けて見える布が張ってあって、何だったか忘れたが、涼しげな絵が描いてあったのを覚えている。お祭りの着物(べべ)と絵日傘が揃うと、もう胸がわくわく、私の心ははやお祭りで一杯であった。

あれは、いつの年だったか。お祭りのべべに赤い兵児帯(へこおび)を後ろで、ふっさり結んでもらって、赤い塗りの下駄を素足に履き、絵日傘を広げて肩に持たせかけ、私は、お向かいの一つ年上の咲子ちゃんと、お祭りに出かけた。

お宮さんのおはやしの太鼓が聞こえる所まで来ると、道の両側にずらりと並んだ出店が見えはじめ、狭い道は沢山の人出で賑わっている。出店の少し手前に氷屋の店があって、アイスクリームを売っていた。普段の小遣いでは買えなかったが、お祭りで、私はいつもより沢山お小遣いをもらっていた。

「うち、アイスクリームを買うけど、咲子ちゃんは?」

「うち、買わへん」

私が買う間、咲子ちゃんは店の外で待っていてくれた。氷屋のおじさんは、円すい形のコーンに丸くすくい取ったアイスクリームを載せてくれた。アイスクリームをなめながら、咲子ちゃんと一緒に、あっちこっちの出店をのぞいて回った。

その日の夜、私は熱を出したのか、下痢をしたのか、よく覚えていないが、寝かされていた布団の枕元に、心配気な母と父の顔があった。そして父の友人のお医者様、松下先生の顔も見えた。松下先生は、私に優しく聞かれた。

「お祭りで、何か食べたの」

「アイスクリーム」と、私は答えた。母が私に聞き返した。

「咲子ちゃんも、食べたの?」

「ううん、うちだけ」

松下先生は納得したように「注射を打っておきましょう」と言われた。私は身を固くした。注射は大嫌い。痛いから。父が私の腕を押さえた。私はじっと我慢をした。

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