薄い水色のブラウスに白いカーディガンを羽織った色白の女子学生は『徒然草』を抱えていた。銀縁の丸眼鏡。前髪を眉毛の上で一直線に切り揃えたボブヘア。この美人も、自分と同じ日本文学科の学生だなと夏生は思う。

「コンパかぁ。行けるかなぁ」

女子学生はため息交じりに呟くと、ショルダーバッグのストラップをヒョイと肩にかけ直して行ってしまった。

あの美人の徒然草は同じ学科の学生に違いない。コンパに行けるかどうかの呟きは、彼女も「夏雲」のメンバーなのだ。夏生は騒めく学生たちをすり抜けて遠ざかっていく白いカーディガンを見ながら、そう確信したくなった。

名前は何というのだろう。彼女が呟いた一言には関西訛りを感じなかった。親元を離れて下宿生活をしながら大学に通っているに違いない。並べば自分の肩より少し高いくらいの身長の美人のことを思いながら夏生は歩き出した。

目の前は校舎から出ていこうとする学生たちで塞がれている。関西弁に交じって聞き慣れないイントネーションの言葉が渦巻いていて、思うように前に進めないことに夏生は小さく苛立った。人いきれの中をやっとの思いで抜け出して外に出たが、美人の徒然草はどこにもいなかった。

夏生は食堂には向かわず、生協の書籍売り場へ行った。

「つれづれなるままに、ひぐらし、すずりにむかいて、こころにうつりゆくよしなしごとを……」

『徒然草』の序段をもごもごと声に出してみた。

書籍売り場の書棚には日本古典文学大系などの専門的なものも並んでいたが、夏生は高価なものを避け文庫版を引き抜いた。余りある時間を使って飽きるくらい本を読みたい。天国飯店のアルバイト代を本代に費やす。その一冊目が『徒然草』になった。『徒然草』は既に全段を読んではいたが、何度も味わいたいと思えるお気に入りの書だった。

しかし、兼好法師を覗いてみることで、美人の徒然草に少しだが近付ける期待を抱いていることも夏生は自分自身に隠さなかった。

【前回の記事を読む】先輩から「自分はなかなか呑み込みがええなあ。次から一人で入ってみるか」と言われ…


【イチオシ連載】結婚してから35年、「愛」はなくとも「情」は生まれる

【注目記事】私だけが何も知らなかった…真実は辛すぎて部屋でひとり、声を殺して毎日泣いた