そのまま数分経った頃。

「おつかれさーん」

「よくやったぞ」

「全然、わからなかったぞ」

という声が会場のあちこちから上がったのだ。そして最後には参列者から大きな拍手が湧き起こった。

まさかの反応だった。

村の人々を騙していたのにこの温かい反応はどういうことなんだろう。どこまでこの村の人々はやさしいのだろうかと私は驚きとともにほっとしていた。

お別れの会終了後、確認してみると「影武者」の件について数人の人が疑問視する声を上げたけれども、それ以外の大多数の住民は「この件」を問題視して大きく取り上げて騒ぎ立てようとする人はなく、むしろ、多くの方にお礼を言われたほどだったのである。

「正二さんが『影武者』をやっていただいたので、みんな安心できました」

「明るい日野多摩村になりました。本当にありがとう」

「いい『影武者』さんでしたよ。名演技でしたね」

という声ばかり。私が心の中で一番悩んでいたことは氷が解けるように消えてなくなり、これで「権田原正二」に戻ることができると安心した。

一番厳しい意見だったのは、お別れの会の後、姉の恵子から

「ほんとに、あんたが勝手なことをするもんだから。私までイヤな女みたいに見られたじゃないの。うな重ぐらい奢ってもらわないと困るんですけどね」

と嫌味を言われたことぐらいだった。兄が亡くなったことで、「影武者」として私の仕事もすべて終了した。肩の荷がおりてほっとしたような、少し淋しいようななんとも言えない複雑な心持ちだった。

お別れの会の翌日、私は兄の住んでいた部屋を片付け、村役場へ最後のあいさつに向かった。もう村役場に来ることもないのかと思うと感慨深いものがあった。

「道の駅ヒノタマ」も、日野沢の滝も、山や川も、すべてが愛おしい。兄は本当に幸せだった。私もほんの数ヶ月だったのだが、兄のおかげでかけがえのない充実した日々を過ごすことができた。

職員の皆さんにお別れのあいさつをし、拍手に送られ村役場を出た。後ろ髪を引かれる思いでバスに乗り込もうとしていた。

そのとき、遠くから

「権田原さーん」

と私を呼ぶ声が聞こえた。