第一章 過去の足跡 先人の努力を見る

映画『沙羅の花の峠』山村聰監督 日活 1955年

若者達が開く明るい未来への展望

映画は最初の検察局萱野分室に戻る。ここで二つ目の核心がある。手術をした医者は実は「にせ医者」(獣医)であった。戦争中に頼まれてしかたなくけが人を診ていたのである。若者達はその事実経過を検察より問われたのだ。

検察官の尋問に対して、にせ医師の言った言葉、そして検察官の問う言葉が一九五五年当時の社会状況を反映している。それはその当時、山間部にたくさん存在した無医村の状況であったのだ。

一九五五年(昭和三十年)、私がまだ生まれる前である。戦後十年というまだ戦争の傷が癒えない時期、溌剌とした若者達の姿は旧習を打ち破り、明るい未来への展望を期待させる。また、にせ医者の行為はヒューマニズムと共に無医村という社会問題を浮き上がらせているのである。

その時代より七十年近い年月を経た現在、戦うべき旧習や迷信は無くなった。しかし、俊子達若者が持っていた溌剌とした若々しさ、純粋さ、真っ直ぐに進んでいく真面目さ、自分は何をしなければならないかということがわかっている自立心というものが今の若者にも持ち続けられているのかという一抹の不安を感じたのも事実である。

『忘れられた日本人』宮本常一  岩波文庫 一九八四年

日本の古の風習、地道な記録

一九六〇年、未来社から出版された同名の本が底本となっている。民俗学者宮本常一氏が日本全国を歩き、民話や伝承を集めてまわった記録である。対馬、瀬戸内、愛知県設楽町、周防大島、各所で集められた古老達の話はとても興味深い。

時代背景は江戸時代末期から昭和初期であるが、歴史教育の中では激動する政治、経済、国際関係がもっぱらの話題であり、庶民がその頃何を思い、何をしていたのかということが実はあまりにふれることがなかった。そんな場面が収集されているところがとても興味深いのだ。

たとえば男だけでなく、多くの若い娘達が、放浪の旅に出ていたとか、鉄道もまだ発達していない時代、徒歩で遠い所まで湯治に出ていたり、旅芸人や八卦見として糊口をしのぎながら旅に出ていたりした者もいた。旅に出る事が当時は世間を知るための大切な行為であった。