いろいろな過ごし方をしてきたけれど、無駄に思えるものは何もない。人生の中のどこかで活きていたと思う。お陰で原点に戻ることなく、曲りなりにも、内地で三十年間頑張ることができて幸せに感じている。

仕事上の〝苦い思い〟は、組立中の寝台付き大型レントゲンを、天井クレーンの操作ミスで床に引き倒し破損してしまったこと。次の日は会社を休んでしまった。

一ヶ月の給料で三ヶ月生きることに挑戦した者が、独身寮にいた。三年ぐらい死んだつもりでお金を貯めるらしい。栃木県の田舎へ来たことが功を奏していると思う。私も質素であったが、世の中は上手がいるものだ。そんな時期があってもよいとは思うが、長く続けることではない。誰も寄り付かなくなる。

社内預金の利息六分、天引きで三百万円貯めて、その利息で車検をやったり学用品を買ったり、人は心がけ次第だと思ったものだ。

貧乏人たるもの、常に自ら進んで生活レベルを下げることが、自助努力だと思う。

我が道を足裏見せて半生紀

ツーリング

行き先の当てがない風来坊の行動ができるのは、自分の家があって家内がいるという安心感と自分本位な思考によるものである。

昭和六十一年、四十三歳で自動二輪小型免許を取って、日本最北端の碑の中に立って記念写真を撮る目的で、栃木県北部から帰郷を兼ねて出発した。百二十五CCのバイク、八戸からはフェリーに乗り、走行距離二千キロ。北海道へは四回走っている。

一度仙台を過ぎて青森でフェリーに乗ったときには、山の中の道路脇に簡易テントを張り、野宿を試した。

物音一つしない暗闇の自然の大地に、自分一人がいる自然の偉大さを感じた。動物がヤブを走ったのか、ガサッという音に神経が張りつめる。蒸し暑く蚊が入ってきて寝るどころではない。夜中にテントをたたんで走ったものだ。

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