常磐町から東に歩いて15分で海があり、南に5分歩けば市の中心地の繁華街だ。私の友達はお洒落な服と靴に着替えて「街に出かける」と表現する繁華街だが、私には普段使いのサンダルで走っていける生活圏という恵まれた立地に常磐町はあった。

3区画ほどの小さな町の中に、畳屋、水道屋、銭湯、八百屋、精肉店、魚屋、料理店、自転車屋、酒屋、たばこ屋、今では消滅してしまったがボテ屋もあった。

ボテ屋とは企業が廃棄する業務用のステンレスやアルミ、金属製品などのありとあらゆるものを回収してバーナーで細かく切り分け、その鉄くずを業者へ売って収益を出す仕事だ。現代でいうところの素晴らしくSDGsな業種だ。

常磐町は狭い範囲でたくさんの商店が集まり、人々の生活を支える便利な商店街を形成していた。そしてこの頃はやっと車が普及し始めた頃だったから、今とちがって商店街は歩いて買い物をする人で溢れていた。

町に来る人たちの多くが顔見知りで、昼間は家に鍵をかける心配もなかった。お互いの顔を見れば「こんにちは」と挨拶し、2階のベランダで洗濯物を干す近所のおばさんにまで「おはよう」と声をかけた。

給湯器が壊れれば町の水道屋で直してもらい、自転車が必要なら町の自転車屋で買うし修理も頼む、店構えはないものの傘だって町のおじいちゃんがわずかなお金で修理してくれていた。あの頃はいろんな物を使い捨てせずに直して再利用することが当たり前で、物を大切にしていた。

とにかく今よりうんと小さな世界でやりくりしてお金もその地域で循環し、みんながお互いに助け合い協力し合って生きていた。それに人情が厚くて優しい人が多かった。そんな穏やかな時代のその町の魚屋、磯吉(いそよし)商店の話だ。

元は漁港に近い小さな町で魚を売っていた磯吉商店が、私ルリ子が生まれる6年前、繁盛している常磐町という商店街に移ってきて10年が経った1960年から話は始まる。

 

磯吉商店

広い車道を挟んで坂道の両側の街路樹から一斉に蝉が大音量で耳障りな鳴き声を上げ、日中のギラギラと照る太陽も車道のアスファルトを熱く焼きつけている。目の前にまっすぐ続く長いながい上り坂を、ハルは必死に自転車のペダルを漕いでいた。

高級な住宅がずらりと建ち並ぶ坂道を太陽に向かって上り、てっぺんから3軒手前の家がハルの目指すお得意さんの家だ。