第一章 「100年人生、目的を持ち幸福を目指す」
最後まで楽しく生きる
『老いのケジメ』(斎藤茂太著)の中で、「テレビで、人生は『へ』の字だといっている老人がいた。101歳だそうだ。ぐっと上がってゆっくり降りていく、それが人生というものだ。まことに含蓄のある言葉ではないか」と述べています。
40歳位を頂点として、それまでは、急上昇し、それ以降はなだらかな下り坂の後半生が待っている、ということだ。「人生100年時代」であれば、下り坂は60年もあります。前半の1・5倍の時間もあります。後半の人生の方が、大変ですが、途中で「定年」や「引退」などがあり、そこでひと段落できます。
むしろ、その時の方が、後半人生の生き方を左右する決断を求められる時です。
自分の場合は、幸か不幸か、それからの15年間を再度上り坂・下り坂を経験してしまいました。富士山を静岡側から見ると、右側の稜線に小さな宝永山が見えます。江戸時代に噴火した跡です。その宝永山の如き人生の小さな山を人生の後半で築いてしまいました。
その15年間は、まだ50代後半から60代、70代半ばまで続きました。ドロドロした若さのマグマが体内に残っており、欲望が火山の噴火の如く爆発した結果でした。それも75歳を区切りに引退をして、改めて、人生の下り坂をゆっくり下っていく生活を再開する時を得ることができました。
これまでの会社中心の生活を清算して、自分だけのための人生を過ごす生活に切り替えることが始まる時期です。終わりのない「成功」を目指した競争社会では多くのものを得た代わりに失ったものも多々ありました。
毎日の生活が仕事中心で、自分の健康を心配しながら、長時間働き、事業計画を達成するために強いストレスを身に感じながら、得たものは、仕事に対する達成感と、多少の老後資金くらいのものかもしれません。
一方、喪失したもののなかで一番は、「時間」です。それは同時に「若さ」の喪失にもつながっています。これは、人生の「空」である「無常」であり、世の中のすべてのものは、変移した結果です。その変化の中で自分が選択した結果であり、「自業自得」です。
それ以外の喪失は、社会的地位、名誉、収入の喪失等であり、これからの人生では人生を賭けて求めるものではありません。これらはあの世にまで持っていくことができないからです。
これからは、残りの下り坂をゆっくり生きていく方法を見つけて、それを実践していくための時間です。他人のためでなく、自分自身のために、自分が長年憧れていた学ぶことを楽しむことだけに集中することに費やすことができる時間です。