第二章 おがさわら紹介
小笠原も一面として、こうした内容の紹介・形もあるのではないでしょうか。
特に、近代土木遺産は、改めて言われるまで、何の変哲もなく朽ちた状態で大自然の中に溶け込み、その偉大な存在「遺産」なるものを知ることはなかったのです。誰しも同じと思いますが ……。それでは、お伝えすることにしましょう。
一 父島「近代土木遺産」
社団法人「土木学会」が、平成十三(二〇〇一)年三月三十日に出版した『日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物二〇〇〇選』に、父島にある四箇所の構造物が掲載されています。
このことを知ったのは、社団法人日本埋立浚渫協会の記者及び写真家の西山芳一さんが来島し、「マリンボイス二一」の「日本の海紀行 小笠原諸島(東京都)」平成十六(二〇〇四)年三月一日号で取材協力をした際、西山さんが帰京後、FAX記事(一月八日付)で教えて頂いたことにより知り得た情報でした。
西山さんは、プロの写真家として、土木構造物の撮影を手掛けられ、多くの土木専門誌にもそのお名前をよく見掛ける方です。それでは、父島四箇所の近代土木遺産の概要となります。
1 旧長谷橋
先ずは、都道に架かる長谷橋は何処に、そして「旧長谷橋」は何処にあるだろうから始まって、存在そのものを島の方への聞き取りなどで探しました。
その際、聞く人皆さん同様に、「えー!」旧長谷橋? 顔を傾げ怪訝な顔をされるのです。島内の年配者を含めて、答えてくれる人はおりませんでした。
その旧橋は、小曲ダム下流の小港道路にある現長谷橋の直下に下部工に挟まれる形で当時のまま残置されていたのです。
場所は、新橋の小港側の橋台上流部から、薮こぎをして一〇メートル程下ると眼前に旧橋が現れたのでした。目の当たりにした時、正直、感動のため息を発していました。
そして想ったことは、よくぞ昭和四八(一九七三)年三月に竣工した新橋設置の際、見事なまでに残してくれたものだと感心すると同時に、新橋の縦断曲線の線形計画に関わった当時の技術者の「懸命な判断」に、ただただ驚かされました。