介護
兄の死は、壮絶すぎて、語れるものではない。
「生きていたい」と言っていた。「もう少しこの目でこの世の中を見ていたい」と言っていた。
「生きるためなら、何でもする」と言った兄。
自分には既にそんな素敵な発想はなかった。
末期のがんの痛みに市販薬のような痛み止めを服用し……そんなことってあるのか。
死人になろうとしている者は、もうどうでもいいのかと思ったら、非常に悲しかった。
最期の入院のときに「兄を痛ませないでやって欲しい」と、確かに自分は看護師に話しておいた。
しかし、強い薬を明日から使うことになったことをたったひとりの家族である自分に話さずに、見舞いに来ていた友人に話すとは思いもしなかった。
翌日から自分は兄と話が出来なくなった。惨すぎた。忘れられない自分の痛み。
兄の病室で、何日も泊まり込み、明日も頑張るつもりでいた自分。いつもの半分の量の睡眠薬を飲んでしまった。
ソファで横になりながら、兄の好きだった歌を何曲も熱唱した。
兄に明日は来なかった。
まだ明日があると思った自分の安易さに涙を飲んだ。
今やまた時代が変わった。
コロナにより、病院や介護施設への面会もできなくなっている。
医療に関わる生人たちも人手不足になり、医療が逼迫している状態の中、以前から入院、入所しているお年寄りたちはどんな扱いを受けていることだろう。
現場を見てきた自分からすると、目を覆うほどの凄まじい惨状であるに違いないと思う。
目に見えないこととはいえ、想像するに恐ろしすぎる。が、知らなければそれまでである。
見ないで済むならば、見ない方が良いかもしれない。見えない分、心の痛み方が違うであろう。
見る悲しみ、見ない悲しみ。知る悲しみ、知らない悲しみ。
そして見送ることもなく、突然に亡くなりましたという連絡が来て葬儀屋が迎えに行くことになる。
生きているうちに会える悲しみと会えない悲しみ。
どちらがどうとも言えないが、患者本人の意識がしっかりしながらも亡くなった方は寂しかったのではなかろうか。
自分は、富裕層たちだけが入所できる介護施設などを知らない。そこには介護のプロといえるような看護師や介護士やヘルパーが存在するのであろうか。知らないからわからない。