介護

つらさのあまり、自分が先に逝ってしまうような気さえしてくる。いっそのことこの大好きだった人を殺して、自分も死のうと考えたりもした。もう限界だった。

現実に、そのような事件は何件も起こっている。

その後母は病状が悪くなり入退院を繰り返し、やはりミトンをつけられたり、拘束をされ、悲鳴をあげた。

最後に入所した施設で、前日まで穏やかに話が出来ていたが、翌早朝心肺停止で見つかり、病院に搬送された。

心肺停止が何時間続いたのかはわからない。救急室に入ったところ、さもまだ生きているかのように、心臓マッサージやバックバルブマスクなどで処置をされていたが、死人になってまで肋骨を折られるのがイヤであった。やめてもらった。

なぜに病院は親族が来るまで生きていたように見せるのか……不思議な機関である。虚しい。

いつだって、貧乏クジを引くのは女生人のような気がする。そういうものらしい。

男生人は仕事という大義名分がある。

しかし、街で見かける車椅子の母親を息子が押している姿を見るにつけ、家ではどのような暮らしをしているのかと思うと、初老の男生人がその母親の老老介護をしている姿に切なく悲しくなった。

やはり、男性と女性では違うのだ。見た様が違う。男の子が母親を介護する姿にはなぜか不憫さを感じてしまうのである。

それは、生人だった親が死人になるまで続く。そして、介護した側は抜け殻のようになってしまう。

そんなつらい経験をした者は、なかなか元の精神、肉体に戻れなくなる。

日々の生活に支障をきたす。疲れきってしまうのだ。

優しさと優柔不断は紙一重だが、やらなくてどうするのだ。