【前回の記事を読む】旧街道を歩きながら、様々な時代を生きた人々の息吹に出会うことが出来た日

内藤とうがらし

 

私の実家は今も東京新宿にある。つまり私は新宿育ちなのだ。それでも、先日久しぶりに用事でこの新宿の街を歩き回り、又々増えた高層ビル群に圧倒され、人混みの中高級ブランド店やデパート前、雑多な飲食店街の喧騒を抜ける頃にはどっと疲れた。

その新宿のど真ん中に埋もれる様に鎮座する新宿の総鎮守社、花園神社に何年かぶりに立ち寄ってみた。江戸時代初期の創建時代から新宿というこの街の目まぐるしく変わっていく数百年分の歴史の全てを今も静かに抱き抱えている、そんな思いにさせる場所なのだ。

赤い鳥居をくぐるとすぐ右に赤い大きなテント小屋が、昔と変わらず境内の場所を大きく占めている。

唐十郎という役者がこの神社の一角の小屋(紅テントと名付けられている)で「状況劇場」というアングラ劇団を率いて芝居を始めたのはもう五十年以上前のことだ。昔からこのテントを見かける度、新宿という地域の混沌を凝縮した様なスペースに私には思えていた。

故中村勘三郎がこの劇団の演出を好み度々この劇場に通い、彼自身の歌舞伎にも屋台崩しのフィナーレを迎えるこの劇団の斬新な手法を真似、取り入れていたことはよく知られている。

地面に這うように広がった紅テントと、金色と赤の派手な花園神社拝殿との間に、そこだけ別世界の空気を感じさせる静かな小さな空間がある。二基の古い芭蕉の句碑がひっそりと立つ木立の陰である。

春なれや名もなき山の朝かすみ はせを

この句碑は裏に明治二十九年の年号があるがその他の記載が無い。多分この地域の俳句愛好者が建てたものと推察される。