【前回の記事を読む】今川が武田に攻められれば…武田対今川・北条の戦となる…。

穢多(えた)女童(めわらべ

それがどうだ……岩付の城欲しさに北条に組し、武田信虎に攻められ不利となれば主家に泣きつき再び扇谷上杉へ出戻る……なんとも情けない話よ……。

と源五郎は嘆いていた。

兄への確執と共に、父の成してきた事にも憤りを感じるのである。

関東を席捲(せっけん)し、主家である扇谷上杉家へ忠義を尽くした曾祖父を、誇りと憧憬の念を抱き自らの生きる模範としている源五郎にとって、現在の太田家は我慢ならないものだった。

しかし過去に目を向けて憤ってばかりいても、詮無き事……。

と思い直し、 

善右衛門が頭領と仰ぐ弾左衛門は、北条が関東に連れ込んだ太郎左衛門に取って代わられつつあると言っていたな……扇谷上杉家の目下の脅威は北条であるが、生き馬の目を抜く戦国の世において、古河(こが)公方(くぼう)始め山内上杉家、常陸の佐竹、安房(あわ)の里見などの動きを知っておいたほうがいいだろう……。

と思い立ち、明日もまた善右衛門の家に行く気になった。

翌日も良い天気が続き、晴れ渡った空に鷹が飛び、初夏の強い陽射しが縞をつくり、樹林の間から落ちている。

「これはよくおいでくださいました。ささ、どうぞ中へ」

連日訪れた源五郎に驚きながらも、善右衛門は快く迎えた。

「すまぬな。昨日聞き忘れた事を聞きに参った」と言いながら中に入ると、昨日は見かけなかった一人の男が、痛めた足を投げ出すように座っていた。

「この者は昨日、源五郎様がお帰りになった後訪れた非人の熊吉と申す者です」

熊吉が深々と頭を下げ急いで土間へ降りようとするのを、源五郎は手で制した。

「よい、足を痛めているのであろう?」

「井倉村(いくらむら)(甲斐国都留郡伊倉村)の熊吉と申しますだ。飢饉で食えなくなっちまって……だのに年がら年中戦に駆り出されるのに嫌気がさして村を出ましただ」

熊吉は寂しそうに言った。

「さようか……源五郎と申す」

まゆも嬉しそうに源五郎に頭を下げるやいなや、つき丸を抱き上げまるで赤子をあやすかのように揺すり始めた。

「まゆは犬が好きなのか?」

「はい、可愛ゆくてなりませぬ」と元気に応えたものだ。

「暫し、つき丸の面倒を見ていてくれ」

「はい」嬉しそうに、まゆはつき丸を抱いたまま家の外に出て行った。