一章 自我が目覚めるお年頃
三 大島のコンバット
当時、ビックリマンチョコはまるでお菓子業界のビッグタレントでした。チョコレートもさることながらシール集めに興味を持つ子どもたちが多く、お小遣いが少ない下級生にお兄ちゃんたちはチョコレートをプレゼントするので、大喜びでした。ビックリマンチョコを通じて、子どもたちの間にいつしか深い絆が生まれていました。
そんなふうに、たくさんの子どもたちが訪れ、連日みかどは賑やかでした。子どもたちだけではなく、七十七歳まで亀戸の工場で働いていた神田さんのおばあちゃんは、歌うことが大好きで、みんなの前でよく歌ってくれました。
当時の相撲の大横綱と野球の巨人が好きでした。そのせいか、仕事から戻ると必ずオロナミンCを店で飲んでいました。当時、オロナミンCのコマーシャルは大勢の巨人の選手が起用されていました。
神田さん以外にもたくさんのおばさんやおじさんがみかどに立ち寄って世間話をしていくので、母は自然に大島の情報ツウになっていました。様々な方の相談に乗る母を見て、父が尊敬の念を込めて「大島のコンバット」と名づけるほどでした。
『コンバット!』というのは、その頃人気があったアメリカのテレビドラマです。主人公が所属する部隊の活躍になぞらえて、何かあるたびに「やっぱり、お母さんは『大島のコンバット』だね」と言って家族でにんまりしておりました。