四 母と過ごした青春の一ページ

昭和四十二(一九六七)年、私が中学三年生の頃のことです。

同学年の生徒の中で男女を問わず、みかどに集まりました。女友だちは放課後、みかどに立ち寄っていました。美人で人気者が多かったので、親しくなりたい男子が足を運ぶようになりました。

と言っても、楽しくお喋りをしたり、駄菓子を買ったりするだけでした。特に、音楽の話題で盛り上がっていました。当時日本のグループサウンズにはまっていた私はザ・タイガースが好きでしたが、ザ・テンプターズやブルーコメッツも人気がありました。

髪の毛がちょっと長めの同級生が、耳に手を当てて首をかしげ「お前のすべてを~」と、ザ・カーナビーツのドラムを叩いていたアイ高野の物まねをしたりして、私たちを楽しませてくれました。

「私はザ・ビートルズが好き」「ザ・ローリングストーンズのキース・リチャーズのギター、カッコいいよな~」と語り合う私たちは『ミュージック・ライフ』を読み漁り、星加ルミ子編集長は憧れの的でした。店の中でレコードをかけることもあり、かなり賑やかでした。

生徒の人数は増えるばかりで、ピーク時は三十人もの生徒がみかどの周囲にたむろっていました。六十年代は音楽を通してコミュニケーションがとても豊かでした。

私が通っていた大島中学校の中でも「みかど」は噂の的となり、担任の小嶋先生が心配して、

「ご両親にご迷惑かけているんじゃないの?」

と声をかけられたことがあります。