急いで帰って

「誰もいなかったよ」

と父に伝えると、

「逃げたかー!」

また、別の日には東北の母親と一緒に上京してきた男子「よろしくお願いします」と母親が心配しながら挨拶をしている姿を見た。

一人暮らしをスタートする場面はキュンとしたのか、今でも脳裏に焼きついている。思い出せないほど色んな人がいて毎日が宴会のようだった。夏休みになると3時のおやつ時間は父から命が出る。

「菓子屋に行ってアイス15個買ってこい」

と小銭を握らされ買いに行く。好きな物を選べるので嬉しかった。父親はA乳業のカップのかき氷を好み、イチゴ味をゴリゴリと食べていた。朝昼晩で終わりではなく残業をするのでその後に即席ラーメンや軽食も作っていた。

母親がゆっくりと食べている姿を見た記憶はない。工場では機械仕事、経理などの事務仕事もしていたと思う。今更だが凄い母親だったと思う。コロッケを買っていたのも理解できる。

ただ一つ「お赤飯の愚痴」は何回も聞かされた。母は秋田の出身で、赤飯には砂糖を入れるので甘いらしい。東京では理解されず甘い赤飯を作ったところ、皆に笑われ「バカにされた」と傷ついたという。祝い事があるたびに話題になっていたが、餅米を蒸して作る時の香りはたまらなく好きだ。

更に従業員が増えると工場と家を分けるようになり朝昼晩の宴会はなくなった。昼も弁当を頼むようになり3時には牛乳屋さんが冷たい飲み物を届けに来ていた。そこに居合わせると「好きなもの頼め」と父親の一言、私は喜んで「コーヒー牛乳」を頼んだ。

母の負担は解消されたのかなあ。常に大勢でワイワイ食べていた記憶が残っている。アイスも牛乳も味の記憶は鮮明だ。