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第2章 家族 ~私を支えてくれた人たち~
墓を通して親から学ぶ
義父は人格者そのものであった。義父の葬儀では訪れた方々から温かい感謝の言葉が多く、生前にたくさんの人に施しをしたことが良く分かるものであった。仏壇には勲章も飾られていた。
義兄が
「これは生前にもらっていたら喜んだろうなあ」
とぽつんとつぶやいた。葬儀の後、独身の義兄から
「お墓は東京にする」
という話になったが、義母はとても悲しみ遺骨が手離せなかった。ひとまず遺骨はお母さんのそばに置き東京でお墓の準備を進めた。しかし、墓を建てるに当たり知識がなく、住職さん石屋さんから話を聞いた。
「いい年になっても分からなくて」
とケンさんが石屋さんに話す。
「皆さん初めは同じです。親は凄いですよね。死んでまで子どもに学びをさせるのですから」
その言葉にケンさんと私は妙に納得した。自宅から電車一本で30分ほどの霊園に決めた。霊園なので宗教も様々で墓石も個性的だ。
大きな墓石にはミニチュアのゴルフコースが飾られているものまであり、一目でゴルフ好きだと分かる。他には詩が刻まれていたり、「○○家」ではなく「ありがとう」や「感謝」などの言葉が彫られていたりもするので、記念碑に近い。
霊園内を歩くと「へえ~、はあ~」と中々、見応えがある。昔ながらの長方形の墓石の他に、上に丸い石がある物も多い。墓石屋さんの話では、
「これは人形を意味しているんですよ。丸いところが頭ね」
「なるほど」
「お墓参りでは水をかけますが、いきなり上から(頭から)水をかけるとびっくりするので、まずは足元からという意味で始めは下からそっとかけてくださいね」
と教えてもらった。
「お塔婆は亡くなった方へのお小遣いです」
そう聞いてしまうと生前には小遣いを送ってもらったからなあ、ちゃんと気持ちは表さねばと、節目のお墓参りにはできることをしている。
住職さんの言葉だが
「法要など色々ありますが無理はしないで、『まずは生きている方優先にして良い』と亡くなった方も思っていらっしゃいますよ」
救われる言葉だった。
霊感などはないが義父が亡くなり3年を過ぎる頃に、私の夢に義父が出てきてつぶやいた。
「そろそろ墓に入れてくれ」
お墓は用意済みだが簡単には、義母のOKが出なかった。夢を見たタイミングでその後に帰省をした際、義母に話してみた。
「お父さんが夢に出てきて、お墓に入りたいと言ってたので明日東京に連れて帰ってもいいですか?」
「うん」
と、義母が承諾してくれた。良かった、これで一安心だ。しかし東京に着くと電話が鳴った。