「お父さん持って行ったの?」

「だめだった?」

「うん。寂しいわ」

「そうですかぁ……、分かりました」

策は練っていた。

「分骨するから少し待っていてね」

住職さんに確認をして分骨をした。

「お父さん許してくださいね」

宅急便で義母の元へ、食べ物や衣類の明記とともに「割れ物、扱い注意」として送った。

「お父さんはきっと許してくれるよ」

と義兄や身内は声を揃えて話してくれた。義父の納骨をしてから9年後の6月に義母が亡くなった。私の父の命日も含め、3名の命日が何故か6月に集中している。また、身内の誕生日は6月が多く、生まれ変わりなのかなあと感じてしまう。

私の父は生前に葬儀などに行くと「喉仏」の話をすることがあった。

「仏さんが座禅を組んでいるような形をしているから喉仏っていうんだよ」

父自身の葬儀では焼き場の係の人が

「こんなにはっきりと喉仏が出るのは、珍しいんですよ」

と説明をしてくれた。自己アピールの好きな父親で、最後の力を振り絞り、子や孫、皆に見せてくれたのだと思った。親の墓を作ることで初めて知ることが多く、親は亡くなってからも子どもたちに教えることがあるという尊さに感謝した。

墓には住職さんの計らいで私の父も納骨を許していただいた。そこで、ケンさんと相談をした。

「私たちのどちらか残った方が保険でそれぞれを永代供養しないと残された者が大変になるよね。墓じまい考えるとスッキリとした方がいいかね?」

「でもね、1年に1回でもみんなが集まることは大事だと思うよ」

「ほうほう」

「たまには顔を合わせておかないと。墓を少し大きくするかね」

「うんうん。ごもっとも」 

離ればなれになっていても、いざという時には集まれる関係でいること。何でもスッキリして良いものではない。お墓はともかく「いつまでも親族は仲良くしてほしい」親の思いもご先祖さんの思いも同じはず。