(二)
「私が帝国主義、それは一体如何いう訳ですか。私は将校じゃありません。カードにかかれている通りの兵隊に過ぎません」「帝国主義とは今迄の君達の軍隊だ。学生ならば解るだろう」。
保は乾いた唇をかみ乍ら「私には主義なんか有りません」。
之が予て耳にしていた裁判なのか。密告されたのだ。只、密告丈で勝手に裁判され、いい加減な罪名を負わされ甚だしいのは一介の兵隊が中佐大佐の肩章をつけた軍服を着せられ、モスクワへ送られてしまう事があるのだ。
「ではここから逃亡しようと企んでいる人は有りませんかねえ」急に言葉が優しくなる。
「差し当り思いつきません」「居たら報告してくれますか」「はい必ず」。
将校が「ではこの宣誓書をかき署名せよ」と言う。ちゃんと雛型ができていて収容所から逃亡を企つもの及ソ同盟に対し不実の言動をなすものがあれば直ちに何々という匿名で報告します。ソ連社会主義共和国内務人民委員殿と日本語でかかれた紙片を見せられたその通り藁半紙に書き匿名の空処へ思いついた名前を挿入するのである。
サインを拒んで半殺しにあい結局かかせられたと、ある捕虜から聞いていた保は(あとは如何にでもなれ)と喜んで宣誓を書き匿名には「正直」と書き込んだ。「ショウジキ」と将校は妙な顔をしたが金の説明で気に入ったらしく、立上って保に握手を求めた手に水色のいかりの刺青が甲一杯に彫ってあった。
押しつまった暮れの一夜、矢張りフェルチャーオーネゾルゲが、コーカサス作戦に従軍した当時を、覚えた日本語を混ぜて保たちに話したのが原因らしい! 確かその時、用達に立った保が医務室ドアをあけると脇の廊下の暗やみに医務室事務係の赤猿と言うあだ名のシュリンクが立っていた様にも思うが……スパイ嫌疑に問われ、毎日引出されては此室で調べられ、否定し続け調書へのサインも断ったため、遂に一ケ月の重営倉へ絶食同様に監禁され、ひどい脚気になり蒼白な顔で出て来たが決して落胆せずズボンのヘムへ巧みに隠している士官になった日、母親から送られた金指環や美しい許婚の写真を保に見せて「ワタシワマダダイジョウブ。カマイマセン」と笑わせ保の住所をすらすら空で言ったが保は彼の住所をうろ覚えて満足に言えずがっかりされたままカラカンダへ発たれた冷い夕べをまじまじと想い起した。
G・P・Uのバラックを出た保は白い上被りのポケットに両手を入れ考え込んでしまった。
(誰かを密告すれば俺の罪は失くなるとしても何の罪に値する事はした事もないし、まして他人を密告なぞ出来るものか。決してするものか。還れなかったら又その時の事だ)
それにしても誰が密告したのだろうか。
あの便所脇にぼんやり午の日差しを楽しんでいる独乙人だって皆からはパン盗人と云われ、毎晩殴られて目の縁を紫に腫らせて医務室へ駆け込み、ブルンクに他人のものを盗らなければ何時でも治療すると云われて泣き出したのを、なけなしのルーブルでルーマニア人から買ったプラウダを煙草の巻紙として分けてやったではないか。