それとも去年の夏満州から来た戦犯抑留邦人の某が一寸した怪我で来たのを笑ったからだろうか。ただ一人どさくさまぎれに連れて来られてしまった靴屋の蒙古人が何ともないのに来て繃(ほう)たいしてくれと頼んだのを駄目だとかえしたからだろうか。

いやいや斯うした個々の事柄からではない。他人には保は気付かぬが帝国主義的なにおいが身に着いているのを感ずるのだろう。保は、周りの人々のみる事のできない、沢山の目が保を凝っと見張っている様な気がした。

「そうだ」あちこちの花壇をせっせと飾りつけている群れをみるともなく眺めていた保はやおら立上って部屋へ戻り軍隊手帳の余白にかいた日記やらつづり方めいたもの総てをペーチカに投げ込んだ。みんな燃えてしまえ。

さすがにモーパッサンとドイツ語の本は惜しく六病棟の仲好い衛生兵西口に又返してもらう約束で与えた。西口は保の普段大切にしていた本を手にして驚き「如何したんだい。真蒼だぜ」と云ったが保は答えようともしなかった。

之からは誰にでも丁寧にはいはいと仕事しよう。保は毎週一回木曜の大好きな今日のプリンの昼食も口にしないでそう決心した。敗戦の時保の班長は覚えておけと切腹の仕方を教えてくれた。奉天の忠魂碑の下等で拳銃自殺する兵が大分あったのである。ああしてひたすら燃えきった命は却って幸福だったかも知れない。

万一、内地へ還っても捕虜だった者へは何の情愛も寄せられぬであろう。まして十日毎に配られる日本新聞(*では夥しい飢餓者がごろごろしていると報じている。

虚構かも知れぬが矢張り敗国だ、捕虜を容れる余地はないであろう。如何すればよいのだ。喚き度い。だが何になる。

ヒマラヤを越え印度へ抜ける遠大な計画で逃亡した者もあるが一週間許りで捕えられた。カラカンダでは機関車を盗み集団逃亡を図ったが敢えなく坐折した事も聞いている。

捕えられれば重営倉で絶食だ。保の古年兵はその為隠し持っていた煙草を食べて飢えは凌いだが心臓を駄目にしたではないか。夫れ程此の生活を忌い愚かな逃亡はしても自殺丈は寡聞にして聞かぬ。

こういう生活に追い込まれれば益々生き度い欲望にもえて来るのだ。だからこそ逃げ盗み狂うのだ。以前モンゴリアンに捕われ発狂した金子は着物をさくので裸のまま七病棟の一室に閉じこめられ偶々巡察する看護婦へし瓶に入った汚物を食えと出す相だ。でもまだ生きている。

シベリヤ鉄道沿線の老ばも保の肩を叩いてパパママに又会うまでと水汲の手伝いをして呉れミルクを飲ませてくれたではないか。沿線警備のソ連将校さえ、その子供に赤鉛筆を与えた保に嬉し気に礼を言い、英語で日本の現況を地図を画き乍ら説明し、ロシア語のアルファベツトを教えて呉れ、道中気をつけてと励ましてくれたのだ。

ドクターフェルチェンクウは「相手がG・P・Uでは私は何も言えない。だが何でもない事だ。還るまでだ。間もなく還るんだ。ハラショー」。還るまでだ。G・P・Uの事は気にすまい。黙って与えられた仕事をやって行こう。

午下りの窓外をゆるゆると牛の索く水槽車を眺めて保は何故かほっと安堵した。

オーネゾルゲは今頃坑道を支える腐った松杭を気にし乍ら時々ズボンのヘムに手をやって腹這いになり暗闇の坑内で石炭を採っているだろう。


*)日本新聞:ソ連による、シベリヤ抑留者向けに発行された、ソ連賛美、日本政府非難を目的とした新聞。

【前回の記事を読む】ソ連将校に「炭坑へ行かせる」と言われ、ロシア語が分からないふりをするが…。