「私ですか、私はそんなものは見ません。恐いと思うから見る、というか見えたような気がする、そんなものでしょう」

そのことばに何だかほっとした。ここが塞がれたのは確か四年生の時のことで、それは卒業するまでずっとそのままだったのだ。

「これが問題の部屋ですな。夜になるとここから骸骨が出てきて校内をウロつく、そういう話でしたね」

「ええ、そうです」

老教諭は通路の中程にある戸口の前で立ち止まった。そして錆びた錠前をカチャカチャ動かすと、おもむろに耳を澄ませた。

「ふむ、ほら、聞こえませんか?」

「え、何がですか?」

「今ヒソヒソと話し声がしませんでしたか?」

彼は表情を強張らせて耳を傾けた。だが何も聞こえない。

「ほら、また」

さらに神経を集中した。やはり何も聞こえない。背筋がぞっと粟立つような気がした。

「実はこの裏が小路になっていて、真向かいに内科医院があるのはご存じでしょう」

「ええ、坪田さんですね」

「要は木霊なんですよ、つまり‥‥」

老教諭は淡々と説明した。その内科医院と校舎の間はやっと車一台が通れるほどの小路で、四階建ての校舎と三階建ての医院に挟まれて深い谷みたいになっている。

そのためか医院での話し声が時として妙な具合に反響し、まるでこの部屋でヒソヒソ話しているように聞こえると言うのだ。それは雨降りなどの湿度の高い日に多く、殊に夕方から夜半にかけて多く見受けられる現象だと言うのである。

流言の発端もそんなものだったはずだ。それが折悪しく理科標本室の前だったから、妙な尾鰭までついてしまったのだ。

標本室には外から鍵がかけられていた。古びてくすんだ真鍮の南京錠も昔のままだった。実はずっとこの部屋へ入ってみたいと思っていたのだ。

元々理科が好きだったから標本というものに興味を持った。いや開かずの間だったから入ってみたいと思っただけのことかも知れない。

当時この通路と標本室の掃除は五年生の担当になっていた。だから早く五年生になりたいと思っていた。標本室の掃除は年に二度の大掃除の時に限られており、それ以外に出入りする機会はなかったのだ。そして流言のせいでその機会も失せてしまった。

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