誰でも知る大企業へ(昭和四十三年~平成十年)
独身寮へ
会社へ顔を出すと、間もなく寮へ案内された。南武線の武蔵中原にあり、交代勤務者用の木造で、六畳と四畳半に流しが付いた借用であった。すでに三人が入っているところへ私ともう一人で、五人が詰め込まれた。次の日、寮からの出社初日は寮長と一緒だった。
五時で退社してからの帰りは自分一人。見る景色が逆で戸惑い、朝歩いた細く曲った道は近道であったにもかかわらず道に迷って歩き続け、隣駅の近くまで歩いた。尋ねた人に
「お宅どこから来たの。今来た道をどこまでも戻って」
と驚かれた。寮に着いたのは八時過ぎであった。全員揃うと、布団と布団の裾が重なる。夜中に暑くて足で飛ばし、朝方は寒くて隣の布団を引き寄せる。布団を取られた人がキョロキョロ探すと、自分の布団で隣がいい気持ちになって寝ている、こんな有様だった。
八年後には時代の流れで、独身貴族といわれ一人部屋にクーラー付きとなり、比べようもない程の差になったのであった。寮での食事は自分持ちで、インスタントのラーメン鍋はみんなが持っていた。お金の無いときは食パンにジャムを塗って、コーラを飲みながらの簡素な食事も当たり前。風呂は銭湯へ、洗濯はプレハブ小屋で、脱水はローラー二個に挟む手回し式だった。
私と仲よくしていた同室の十九歳が、週刊雑誌の文通欄に応募した。全国の女性から百十余通の手紙が届いた。同じ地域の人がいたり、写真が入っていたり、必ず返事を求めて返信用切手が入っていたり、それぞれの個性が見えて面白いと思った。私には全部見せてくれた。
十九歳は男前で、近くの女性と楽しく過ごしていた。私にも文通をやってみないかという。ミーチャン、ハーチャンみたいと思ったが、退屈なので暇に任せて三人に手紙を出し、写真を交換した名古屋の女性に逢いに行こうかと思ったほどだった。その中の一人で、同じ北海道出身で東京の三鷹にいた四歳下の女性と、一年後に結婚した。同室五人の中で四人が同年齢で、女性に縁がない私が一番早かった。