【前回の記事を読む】「穢多」と虐げられるまゆの父親、善右衛門との出会い
穢多の女童
「先日……非人の者がこの村に立ち寄った際、妙な事を言っておりました……甲斐の武田信虎公が革を買い集めておると……」
それは源五郎の父資頼が十一年前、北条氏綱に後援を頼み岩付城を落とした後、扇谷上杉家の後援で岩付城を攻めた武田信虎に耐えかね、扇谷上杉家へ帰参した。
という経緯を知っていて、源五郎の役に立つのではないか、との肩入れから来る言葉だった。
革は戦で必要な武具や馬具になくてはならない物で、鞣す前の物を皮、鞣した後を革と書き、鞣しという処理は、高温多湿の環境では腐ってしまう皮を、腐らなくする加工法である。
原皮を川で洗いバクテリアの働きで鞣す「油脂鞣し」や、煙で焙りそれに含まれるアルデヒド類の鞣し作用を利用する「燻べ革」などがあり、どちらも強烈な臭いを発する。
その革を買い漁っているという事は、武田信虎、軍備を整えどこぞに攻め入るつもりか……。
「しかしそのような情報が、岩付の地におりながらも入ってくるものなのか?」
「はい、実は今、関八州の穢多は二つに割れております」
「ほぅ……」
「かつて源頼朝公に長吏頭とお認め頂き世襲される我らが頭領弾左衛門と、北条が伊豆より連れ込んだ太郎左衛門なる人との争いにございまする」
(長吏頭※自らはそう名乗った。穢多頭とも言う)
新興勢力である北条が領土を広げるたびに、その地の穢多は弾左衛門から太郎左衛門に支配が代わるという事実に源五郎は、
「我ら武家もおぬしらも、まったく変わらぬのだな……」と呟くように言った。
「弾左衛門様もこのままでは力を失ってしまいまする故、お味方の力となりえるよう、非人などを使い情報を集めておりまする」
非人とは領主に年貢を納められずに逃げた農民や働けなくなった病人、捨て子などで、物乞いにて生計を立てる者達もいれば、特定職能民、芸能民の呼称で呼ばれる者達もいた。
身分制度が定まった江戸時代より被差別民の呼称となるが、戦国時代の非人は職業の制約を受ける事が無く、遥かに自由に生きる事が出来た。
非人の身柄は誰の所有物にもならず、どこへ行くにも自由であるが、名目上関八州では穢多頭弾左衛門と各地の長吏小頭の支配下にあるとされ、その非人を各地の穢多村との連絡に使ったり情報を集めさせていたりした。
甲賀や伊賀、伊那忍びなどの本職の忍びを雇い入れ、間諜網を整備した戦国大名もあったが、その派生は異なるものの、この非人を使った「風魔者」と呼ばれる組織を使い間諜網を整備したのが、北条氏であったと言えよう。
風魔者は他の忍びの組織を抜けた「抜忍」や牢人などもかかえ込み、その恐るべき術技を高めていったものと思われる。