はじめに
二〇〇一年六月一日、カトマンズの王宮内で当時のビレンドラ国王とアイシュワリヤ王妃ら王族が銃撃され、九人が殺害された。自動小銃を発砲した後、自殺を図ったとされるディペンドラ皇太子が一時的に王位を継承したが、意識不明のまま三日後に死亡。ネパール王族殺害事件である。
このニュースを聞いて、私は唖然とした。なぜなら、この事件の半年前にネパールを旅したからである。二〇世紀最後の年末には連夜、国王一家の特集がテレビで放映され、旅する自分には平和な王国に見えていたのだ。
ネパールで出会った人たちの顔が次々に浮かんだ。「ナマステ(こんにちは)」と言って出会い、「ナマステ(さようなら)」と言って別れた、たくさんの笑顔。一体彼らはどうしているのだろう。
そう思ったのも束の間、日々の仕事に翻弄され、気が付くと二〇年以上の歳月が過ぎていた。
二〇二二年の春、私は退職し、教員生活にひと区切りを付けた。新しい生活に向けて身辺整理をする中で偶然、ネパールの旅行記を連載している学級通信が見つかった。一月から三月にわたって手書きで書いている。読み始めると懐かしさが込み上げ、いろいろな思い出が一気に広がっていった。嬉しいことも、悲しいことも。
旅をした翌年、私は新しい職場へ異動した。その年、国内では池田小学校児童殺傷事件、国外ではニューヨーク同時多発テロと大きな事件が続き、その頃から世界の治安が急速に悪化していく。
そして、自分自身も多忙な生活になったことと重なり、すっかり旅をする余裕がなくなってしまう。そんな状況の中、「退職したら、きっとまた二人で旅ができる」。そう信じて疑わなかった。
しかし、いっしょに旅するはずの友人はもういない。五〇歳を目前に、病気で亡くなったのだ。それまで国内外を幾度も旅してきたが、結局ネパールが二人の旅の最後となった。偶然見つけた学級通信。これは何か見えない力が働いているのかもしれない。
二人にとって忘れることができない旅、友人がいたからこそ数々の挑戦ができたこの旅を、なんとかして残したい。そんな想いに突き動かされ、二〇世紀から二一世紀をつないだネパールの旅を、自分の机上でもう一度辿ってみようと思う。