第一章 ネパールの大地へ

なぜネパール?

調べてみると、友人が会ってみたいラマ僧であるケツン・サンポ・リンポチェがカトマンズ郊外に住んでいること、私が興味を持っている仮面音楽劇「伎楽(ぎがく)」の源流がネパールにあることもわかってきた。

さらに、友人の勤務校近くの写真館の方が大のネパール通で、現地の旅行代理店を紹介してくださるという展開へとつながった。

これによって、団体ツアーではなく、願ってもない自由な個人旅行が実現することになったのである。 

いざ、ネパール!

海外旅行の準備をする際、気がかりなのは気候。どんな服がどのくらい必要なのか、いつも悩む。

ネパールは中国のチベット自治区とインドにはさまれた位置にあり、エベレストをはじめとする「世界の屋根ヒマラヤ」のイメージが強いので、ついつい寒さの厳しい国だと勘違いしてしまう。ところが、ガイドブックで調べてみると、冬でも日中は二〇度くらいあると書いてある。奄美大島と同じ緯度なのだ。これを読んで、ますますわからなくなった。

言葉についても、英語が通じると書いてあったので、それに甘んじてネパール語は全く勉強しないまま、出発の日を迎えた。

二〇〇〇年一二月二九日、関西国際空港から旅立った。ネパール直行のチャーター便である。機内はかなり狭い。辺りを見回すと、年齢層は高め。

五〇~六〇代くらいの人たちがかなり多い。しばらくすると機内放送が入り、一抹の不安がよぎる。

「今朝の新聞によると、カトマンズで抗議行動、死者四人、負傷者一二〇人と報じられております。これは政治に対するものではなく、人種差別的な発言に対する抗議行動なので、おそらく今は収束していると思われます」といった内容だった。

これまでの海外旅行とは違う緊張が走る。やはり未知の世界だ。

飛行機の窓からの風景も然り。タイ上空、ミャンマー上空、インド・カルカッタ上空から見る景色は、緑の多い日本のパノラマとは違って、茶系が主体の大地の色。川は蛇行していて、力強い印象を受ける。しかし、見とれるような美しさとは言いがたい。

時間が経つにつれ、席と席の間が狭いこともあり、八時間以上の空の旅はかなり疲れてくる。だんだんと腰が痛くなってきた。今なら、エコノミークラス症候群を心配するところだが、当時はまだそんな言葉もなく、ひたすら我慢した。

しかし、ヒマラヤが見えた瞬間、痛みも吹っ飛んだ。

空の上にぽっかりと頭を出したヒマラヤ連峰は、まさに世界の屋根。白い輝きに鳥肌が立つ。その中で雪がほとんどなく、グレーに見えるのがエベレスト。白く見えると思っていただけに意外だったが、逆に目立って存在感がある。ヒマラヤ連峰は、途切れ途切れに見え、四つの塊に分かれていた。カトマンズが近づくと、レンガ造りの家々が見えてきた。小さな箱のような家が並んでいる。一体どんな町並みなのだろう。

わくわくしたのも束の間、出入国カードを記入しなければならない私たちに、ゆっくり眺めている余裕はなかった。