【前回の記事を読む】「日没する所の天子に...」聖徳太子の無礼な書をなぜ皇帝は無視しなかったのか?

第二章 歴代中華王朝における華夷秩序の変遷

唐の時代

ここで、少し脱線するが欧米の女性たちの治世をみてみよう。

エカテリーナ二世は、オスマン帝国(モンゴル系)との二度に渡る露土戦争に勝利して、ウクライナの大部分とクリミア・ハン国を併合して領土拡張の基礎を築いている。三度に渡るポーランド分割を主導して、ポーランドとリトアニアを地図上から消滅させてもいる。また米国の英国からの独立戦争時には、米国への輸出を推進している。

ラックスマンに国書を託して日本との国交樹立をも要請している。「王座上の娼婦」と孫から呼ばれるほどに男性遍歴があったけれども、ロシアでは高く評価されている。おそらくプーチン大統領も高く買っているだろう。

イギリスのサッチャー元首相は、サッチャリズムと呼ばれる新自由主義的な経済改革の基を築いている。ヒース内閣では、教育科学相として教育関連予算削減のために学校での牛乳の無償配給の廃止を断行して、ミルク泥棒と非難されたりもしている。しかし、ソ連の国防機関紙からは鉄の女と非難されるほどの実行力の持ち主でもあった。

植民地時代に関する英国の歴史教科書の記述が自虐的であるとして内容を是正させるなど、教育改革を断行している。現在の日本にとって欲しい人材ともいえる。

一九八二年のアルゼンチン軍による英国領フォークランド諸島への侵攻に際しては、「人命に代えてでも英国の領土を守らねばならない。国際法が暴挙に対して打ち勝たねばならないからである」といって戦艦や戦闘機を派遣してこれを撃退している。

ドイツ史上初めての女性首相となったメルケルは、ユーロ危機やクリミア危機及び欧州への難民危機にも手腕を発揮している。東ドイツ生まれからか親ロシア派であったが、KGB出身のプーチンとは対立しており、クリミア危機では厳しく批判している。

一方ロシアのG7加入を提案して、成功させてもいる。ドイツの歴史的背景からか、中国重視政策をとっている。

また意図は不明だが、二〇一四年、習近平氏との会談時に新疆ウイグル、内モンゴル、南シナ海、尖閣諸島が清の領域外になっている古地図を贈っている。しかし新華社は後に、その地図を差し替えて報じていた。

ロシアのエカテリーナ二世を尊敬していてオフィスに彼女の絵を飾るほどであった。その心情については量り難い。

さて六代皇帝玄宗は、まず則天(そくてん)武后(ぶこう)が招いた治世の混乱を収拾することになる。均田制が崩壊し徴兵が困難になったために、募兵制(傭兵 制)を実施する。また節度使(辺境の地に置かれた軍団の司令官)制度を樹立させて、周辺諸国の統制を図る。

節度使とは今日のアメリカ欧州軍司令官、在日米軍司令官、在韓米軍司令官にやや似た制度であろう。