玄宗の時代に討伐された突厥帝国の再興を狙った安禄山(あんろくざん)(突厥の血を引く武人)による「安史の乱」が起こる。これに対し公主降嫁(こうしゅこうか)によって同盟関係にあったウイグルの援軍を得て、鎮圧に成功する。同盟関係は公主降嫁によることが最も信頼できそうである。

元首や高官の親類縁者相互の国際結婚による結びつきは、今日においても信頼できそうである。これを広く解釈すると、世界平和や二国間の同盟関係は公主降嫁に依ることが最もうまくいきそうである。

夏と秋に二回税を徴収する両税法が施行される。唐代には辺境の地に屯田 、内地に民屯が置かれ、農民を屯田兵として十五歳から黄河北方の防衛に召集して、四十歳まで働かせる制度を実施する。兵役は農民の三人に一人の割合で招集し、租庸調は免除されるけれども武器や衣食は個人持ちであった。

唐代において東アジア全域にわたる冊封体制(華夷秩序)が確立する。

朝貢制度は唐と周辺の異民族との力関係によって、羈縻(きび)、冊封、朝貢、使節の交換・公主降嫁の四種類に大別される。羈縻は有力者を手なずけて自治を許し、都衛府をおいて統治する方法(突厥関係)。

冊封は君臣関係を築いて中国の後ろ盾によって政権を維持させる方法(渤海、新羅、南詔(なんしょう):チベット系・ミャンマー系関係)。これらの方法は、現在のロシアを中心とした独立国家共同体(CIS)関係に類似する。

朝貢については、君臣関係を前提とした縛りの掛ったものと、物資の上納下賜を通じた交易を主体とする儀礼的な二種類に分けられている(チャンバー、アンコール朝、日本との関係)。日本との朝貢は後者に当たる。公主降嫁はウイグル、吐蕃(チベット)との関係に適用。

こうした朝貢制度による多様な二国間関係は、対象国やそれぞれの部族に合わせて、柔軟できめ細かな配慮がなされている。この関係を、後に欧米諸国が国際法という一定の型に閉じ込めることになる。